旅行・地域

東伊豆の旅館

2015年2月9日(月)晴れsun

Cocolog_oekaki_2015_02_09_23_03

1月にインフルェンザにかかってその後無気力状態が続いていました。

気力がないと何事もやる気がでません。

亭主が、家事をしてくれていましたので、もう少しやってもらちゃおう。

亭主のためにも良い事だわなんて都合よい理屈つけて、私は椅子にへたり込んではグデ・グデ・・・・・。最後に必ず溜息をハァ~(笑い)

ハァ~と声出しますと、これが亭主には結構効果があります。

これ、新発見でした。

ハァ~をいいますと亭主、大丈夫か?なんていいながら頑張ってくれます。

ハァ~・・・・・。うんうんナイスフットワークね。(笑い)

そんな状態の中、昨年に決めていた鎌倉彫の新年会の日が迫ってきました。

新年会は、東伊豆の今井浜。

温泉に浸かって「アワビを食べる」そんな趣向でした。

その日まで、ハァ~を続けていましたので亭主、お母さん止めたら・・・・・。

いや、もう大丈夫!行ってくるからお願いね。

ま、こんなぐわいで仲間4人、伊豆急行に乗って今井浜駅で降りました。

今井浜駅は、河津桜で有名な河津駅の一つ手前です。

旅館は創業80年の今井浜荘。

駅から約3分で旅館に到着。

ここ今井浜は夏、下田の白浜と並んで砂浜が白く美しいことで有名。

海水浴なら白浜とともに伊豆随一の人気です。

旅館の前が海でしたが、1月ですから閑散としていました。

さ~温泉ね。温泉は、お肌がすべすべになるナトリウム塩化物泉

お風呂から出て一休み。こうやって、1年に一回のお稽古仲間との新年会。

ご馳走にお銚子がそれぞれ1本づつついて、熱燗で品よく私、そんなに飲めませんのよ・・・・なんていいませんでした。(笑い)

私の気力、ご馳走頂いてすっかり戻っていました。翌日、熱海から新幹線に乗り換え東京のキルト展に出かけたのですから、亭主に言わせれば何考えてるんだ~・・・・。

私魔女!忘れないで。(笑い)

でも、亭主にクレームつけられないためのお土産を。前にも書きましたが、キムラヤのアンパン。

写真 今井荘

002

099


旅行のハイライトは、食事です。東伊豆の名産金目鯛。それに憧れのア、ア、アアワビ・・・これだけで私の場合しあわせです。

048

054


065

082


067


075

これは、朝食。エビの頭の入ったお味噌汁・・・潮の香りとエビのニオイが混じっておいしい。

088

目前にある旅館のプライベートビーチ?


019  029


024


今日のお花

ミニの水仙。

いつのまにか数が減ってしまいましたが、原因は亭主が庭に出ては踏んだり蹴ったりしますので、それが原因のようです。(怒)

023 021

bell bell・・東北の復興・・・・・私達、祈っています。(マジョリン)

秋と冬の交差点

2014年11月28日(金)曇りsun

 

Cocolog_oekaki_2014_11_28_20_51

昨日は、快晴。

気温も高めで、暖かく小春日和とはこういう日のことね。

ごみを捨てにステーション(地域のごみ集積場)にいき戻ってくるとき頭あげますと今日の富士山、真っ白。わ~綺麗!

前々日と前日の雨で山肌が真っ白になりました。

これからの季節、私の住んでいる所が雨ですと富士山頂は雪です。

今年も残すところわずかですが、振り返りますと、富士山比較的顔出さなかったような気がします。

世界遺産になって多少疲れたのでしょう。

でも、この日はちがいました。

よし!今日は、写真撮りに行くわ。そう決めたのですが、午前中は洗濯など家事いろいろでアセアセ。 (A;´・ω・)アセアセsweat01

で、出発は午後になってしまいました。

このパターン、私のオハコです。

車にのる前に富士山を眺めますと、え、雲に隠れてる・・・・・。

午前中は顔出していて午後には雲隠れ。こういうことってよくあります。

あ~今日はダメね。あきらめようとしますと、あとから出てきた運転手。(笑い)

運転手は亭主のことですが…(笑い)、富士山気まぐれだからダメもとで行ってみよう。そうなんです。私と同じ。気まぐれなのです。

いざ、出発。

富士山は、どこから見ても美しいので、ビューポイントたくさんあると思いますが、私としては、ここが近くて最高だと思っています。

あ、最高はほかにありました。伊豆天城高原からの富士。

天城高原ゴルフ場の前付近から見る富士山はまさに「天空に浮かぶ富士」。

これが私の中では最高です。

今度、ここからの富士山、一度ご紹介したいと思います。

そういうわけで、ここからの富士山は二番目です。

このビューポイント。ほとんど知られていません。ですから私だけの秘密の場所です。

箱根西麓の入り口付近。視界は360度。

ここに着きましたらどうでしょう。魔法みたいでした。

そう、わたし、魔女。

雲は消えて眼前に麗峰富士が。これぞ日本が誇る世界遺産です。

ここで、パチリとした後帰ろうとしましたら、30代と思(おぼ)しき女性がカメラもって車止め、やってきました。

この方にお伺いしましたところ、ここは、彼女にとっても秘密のビューポイントだそうで・・・・・結局、私と彼女のビューポイントでした。

蛇足ですが、彼女一眼レフの本格派でした。

写真  秋の終わり、日本晴れの中の富士山 確かに、雲より高かったわ。

054

ズープ使って・・・

056

更にズーム…限度までアップ。

063

こちらは、上の写真より1キロくらい西に移動して撮りました。

違いは、富士山のお腹がへこんでますがここは宝永山の噴火口です。この噴火口の位置が上の写真と比べほんの少しだけ右側二よります。

065

052




この場所は、箱根連山も眺望できます。遠くの山並み、箱根連山です。

048   071

この場所から西側を見ます駿河湾が見えます。中ほどにある山並みは沼津アルプス。

今、この山、縦走所要時間6時間だそうで、山ガールやシニアに人気があるそうです。

082

帰りが け、日本大学三島校舎前の銀杏並木が見ごろでした。

この日私がいったところ・・・・・・「秋と冬の交差点」

096    090_2


089_2

今日のお花

え、椿が・・・・いつも早い侘助が更に早い?

004   006

水仙も2輪咲きました。こちらもちょっと早い感じです。・・・・・・。

021

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

思わぬ展開に…

2014年9月22日(月)晴れsun

Cocolog_oekaki_2014_09_22_21_58

富士山麓の山中湖。

標高982mで、富士五湖の中では一番大きな湖です。

風光明媚で夏は涼しいいので別荘、保養所、スポーツ施設などが樹木の中に立ち並んでいます。

お土産屋さんや、レストランなども湖を取り囲むようにあります。

いわば、自然あふれるリゾート地。

107   108

前にも書きましたが、私の家から車で一時間くらいかしら。

気分転換するには格好の地で、もう少し足を延ばせば忍野八海。

ここも山中湖エリアといってよくトータルで私がリフレッシュできるところです。

例年、8月の暑さと・・・・ぐうたら亭主の変なオ~ラにまいって(笑い)ストレスがうなぎ上りになり、ここに避難したくなります。

今夏の8月は天候不順。比較的凌いやすく山中湖行は忘れていました。

夏が終わって、天候は相変わらずでしたが、亭主の顔見て・・・・そうだ、山中湖にいっていない。

そこで、先日、亭主に山中湖にケーキ食べに行かないって水をむけましたら・・・・・ケーキって言葉に鋭く反応!ピッ!ピッ!ピッ!・・・やっぱりミルクのみ亭主。(笑い)

いいよって二つ返事。

いつにする?ってききますと「今でしょ!」・・・・一応流行語知ってる。(クスクス)

すでに午後に入っていましたが私は、時間の観念はないので、すぐ支度して出発。

ま、一時間ですから・・・・・

行く先、毎度のことですが旭日丘のケーキカフェ、「ぺーパームーン」です。

079

このお店、若い方からシニアまで(このお店10歳以下の子供ずれは、入れません。)のお客で混んでいました


ケーキは午後少し遅くなりますと種類が少なくなって、残り物(笑い)の中から選びます。

私はりんごパイを、亭主マロンケーキを頼みましたが福はどうだったかしら。

083   066


りんごパイとマロンケーキ。こんな表情しています。

072   075

ストレスに弱いひ弱な私、ここへは、毎年訪れかれこれ20年くらい。・・・私達は、古いお客なのです。

その間、味が変わらず美味しくて満足していたのですが、今回、味が変わった?。その点は、亭主と同意見でした。

ま、種類が少なかったこともあり気のせい、いや舌のせいかもしれません。

ここのお店、輸入雑貨コーナーや敷地内にお花育てていて、これ見るのも私は好きなのです。花はポピュラーなものから珍しいものまであります。

082085086

お花畑で、珍しい蝶を見つけましたのでおもわずパチリ!珍しいというより青い色がとても鮮やかでした。蝶のこと知りませんので「あなたの名は?」新種発見ならマジョリンアゲハなんて名前にしちゃいましょうか。(笑い)


098


今回は、忍野八海は止めて、旭日丘の三叉路を少し行った先の文学の森公園に寄りました。思わぬ展開に・・・

公園は、森の中。

散策するのにちょうどよい広さに感じました。奥まで車で入りますと、駐車場があり、NHKの大河ドラマ「八重の桜」で新島襄が創設した同志社の学生だった徳富蘇峰(明治のジャーナリスト)、昭和最大の文豪三島由紀夫さんの文学館が並んでいました。いずれも山中湖とは縁があってできたようです。

 文学の森公園詳細は→http://www.vill.yamanakako.yamanashi.jp/spot_detail.php?id=4


109


112

緑に囲まれた瀟洒な建物。時間の関係で見学しませんでしたが、係りの方にお話しして玄関からロビーに入りました。

130

こちら、徳富蘇峰館 


118    121

こちらは、日本唯一の三島由紀夫文学館  玄関ロビーの正面は、三島邸の庭を模して中央の像はレプリカだそうです。



125   127

132

いつか、見学したいと思って帰路に着きました。

山中湖に来て、リフレッシュしたことはしたのですが、一日中亭主と一緒でしたから・・・・・(笑い)


☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

マジョリン通信

バラさんへ

バラさん、ご主人の野球勝ち続けていてよかったですね。J様も野球少年のように試合に夢中でしょう。野球がまだできるってこと・・・・それだけ若い証拠ですからとても幸せなことだと思います。バラさん少し寂しくてもガマンガマンですね。少しすれば洗濯物のユニホームなどどっさりお土産がきて、妻としての幸せを・・・・・・。

ところで、彼岸花、うちでは今年は早く咲きました。バラ家と撫子家一緒に咲いて色も同じでしたね。クリーム系の色でしょうか。きれいでした。

バラさん黄色の彼岸花覚えてくださって、今蕾です。こちらは咲くのが彼岸過ぎ?でしょうか。彼岸花でなく彼岸後花です。

それから、三味線の爪拝見しました。・・・・この方でも爪を隠していらっしゃったんですか。

撫子さんへ

撫子さん、ご無沙汰しています。お元気にご活躍されている様子素晴らしいと思います。秋、芸術祭を前に、お琴の準備大変なご様子。でも、生きがいのある人生は素晴らしいですね。

お琴の音色イコール日本の音色でもありますね。独奏は繊細で優雅。心にしみます。合奏は一転迫力満点ですね。

彼岸花のこと、上のバラさんあてに書きましたが、彼岸花がそれぞれのお宅の庭で咲き、これをお話の肴にして・・・・深まっていく。そして秋も深まって・・・彼岸花が取り持つ縁かしら。大切にしたいと思います。

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン







旅行雑感

2014年9月10日(水)晴れsun 

Cocolog_oekaki_2014_09_10_21_37

イタリア旅行から帰って、2か月。

旅行は、すでに過去の出来事になって、すっかり普段の生活に戻っています。

暑かったり涼しかったり…9月は季節の変わり目、お天気は気まぐれ。

気まぐれは私と同じ。

旅行のことようやく書き終わってホッとしているのですが、何か忘れものがあるような気がして・・・・・そう、あとひとつ、締めが・・・そうしないと私の中では中途半端。

ひとの旅行の話なんて面白いものではありませんが、ま、私自身の備忘録ですからスルーしてください。

今、パソコンに向かっていますと聞いたことのない虫の音がシャカシャカシャカ・・・・・・。平和な日本の秋って感じで気がそちらに取られています。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

それでは、ここから旅行の話、欠落部分を書き加えます。

今回の旅行、言いだしっぺは私。

ぐうたら亭主は、全く乗り気なしでした。

昨年末から、亭主に旅行のこと仕掛け、じわじわと・・・・。亭主は、あ~でもない、こーでもない、と、のらりくらり理屈こねて乗ってきません。

私、徳川家康。狸です。外堀埋めて内堀埋めて・・・・冬の陣、2月に作戦が功を奏してようやく落城。

でも、亭主、無理して行ってやるというスタンス。

私は、お願い行ってくださいという可哀そうなスタンス。

官兵衛亭主・・・・策士だけに明らかに優位な立場を確保。

それから旅行出発までの間、私が亭主に逆らいますと「旅行いかない」って・・・水戸の黄門さまの印籠に使われ・・・・悔しい・・・・・。

そんな中で、7月無事出発。

私達のホテル、一か所だけは良いホテルであとは、ビジネスホテルの上ってところ。

食事は、美味しいと思ったのは、ミラノのカツレツ。あとは、記憶に残っていないのです。日本で食べるイタリアンの方が断然美味しいィ~。旅行社の価格設定の問題かしら?・・・・。

旅行中の足は、貸し切り大型バスで、これに16人ですから快適でしたね。

お仲間は、前に書きましたが、心地よい距離感もって接してくださり、フレンドリー。いやな思いすることは全くなく楽しかったです。グループに恵まれたことは幸運でしたね。

あと、旅行社、私は気にならなかったのですが、ぐうたら亭主、昔から自分に甘く他人に厳しい。それに強気を助け弱気をくじく男のなかのおんな?(笑い)ですから添乗員さんへの評価は厳しかったですね。(笑い)

中年の添乗員さんとはウマが合わなかったようです。

理由は、彼女の「手抜き」だそうです。大雑把な彼女、亭主には手抜きに見えちゃたんですね。

でも、亭主、大人の対応してましたから・・・・。それは◎でしたね。

ホテルがそれほどではなかったこと、食事が良くなかったこと、行くべきところをいかなかったこと、あと、お土産やさんに行く回数と時間が多かったこと・・・・これらは不満といえば不満でした。

しかし、旅行代金を押さえた中で、飛行機の座席がビジネスクラスでしたから、そういう事情の中で会社が利益出すには仕方がないことと納得しています。

飛行機は、エールフランスで、これは良かったですね。

男性スタッフとてもソフトで気が利きました。おまけにハンサム。heart02

また、今回の旅行で一番おいしかった食事、エールフランスの機内食。(笑い)

あと、パリ経由で直行便でなかったことも経費との関係ですね。

でも機内からエッフェル塔がみえたりして乗り継ぎでもno problemでした。

ま、こんな総括してみましたが、行った先々が良かったので満足度では70~75点ぐらいはつけられそう。

一昨年、同じような条件でパリほかにいったのですが、その時の満足度は90点ぐらいでしょうか。

今回、点数が落ちた原因は、一昨年は為替が、一ユーロ100円、今回は140円ですから仕方がないですね。旅行代金はほぼ同じくらいでしたから、旅行社も苦しいのではと思ったりいたしました。

海外旅行は、円高の時に限ります。が、それだけで計画は決められませんので為替による運、不運、これは受け入れるしかないですね。

でも、ベネツィアは良かったわ。また、私どこかにいきた~い・・・・・・。airplane「無礼者!」って声が聞こえました。鎖国時代の骨董人間の声のようです。(笑い)さんざ行かないといってた亭主、今回の旅行では我を忘れて一番楽しんでいたように見えました。(怒)

.。.♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:


.

写真 別れの朝、ホテルからミラノの郊外をパチリ!

638

643

パリ、シャルル・ド・ゴール国際空港、往復乗り継ぎのため2回立ち寄りました。(1時間半~2時間)

 011

パリでの待ち時間は、エールフランスのラウンジで。

658   659

さて、フィレンツエ以降のお土産をアップ・・・今になってはどこで買ったかうろ覚え・・・・

孫の富士太郎へのお土産は、ウフィツツィ美術館でゲットしたダビデ像 右は美術館の本

142  018

マグネット ラッファエロの「小椅子の聖母」(フィレンツエ ピッテイ美術館)

082


これ、亭主が買ったベルト。ウフィッツィ美術館を出て革製品のお土産屋さんへ。

店員の日本の娘さん商売熱心。見てるだけといってもついてきて亭主ついに陥落。

その後も離れないので、私も手袋を・・・娘のラズベリーにとgetしましたがラズベリー多分気に入らない?ようやく離れた彼女に、時間が余ったのでジェラード食べたいとお店を尋ねたら案内してくれました。ありがとう。頑張ってね。

118     123_2


フィレンツエのインター近くのお土産屋さんで、パスタを・・・・新製品で味が芯まで染みこむとの添乗員さんのおすすめ。他にいろいろ・・・。


067 066

バルサミコ酢と塩                 乾燥させたボルチーニキノコ  

107  071  

辛子入りのチョコが珍しいと好奇心だけでget。                           

075  069
  

ヴェネチア・・・・ヴェネチアングラスの職人の実演のあと監禁状態(これ冗談です。)そこで何か買わなければと選んだのがトンボ玉(ビーズ)。
綺麗でしたが、1個2000円。買ったのは良いのですが何に使いましょうか?

113  121

118

ヴェネッイアで見つけた刺繍。伝統の裏付けのある技術は確かですね。

077  078

ヴェネツイアの名物仮面などの雑貨

080   083

ベネチアのホテルの横がお菓子屋さん。ナッツ入りクッキー・・・・硬くてどんな味?ベネチアの味。     右は、孫のリンゴが大学受験にパスした時のお祝い用に先行投資。

097    128
  

ミラノで孫の富士太郎にインテルミラノの長友のユニホームを。本田より長友選んだのは通なんて亭主言っていました。


136   137

ヤギのチーズなど・・・。今はもうお腹の中経由お腹の周りに・・・。(笑い)

086        089

パリの空港内の免税店で。

ワインなど・・・   ついでにマカロンも。

062  072

私のしわ伸ばそうと化粧水・・・もう無理ですが抵抗する気持ちが大切と。

109

ようやく、ホッ!です。

今、急に虫の音がやみ雷がゴロゴロ・・・雨の音が強くなってきました。急変するお天気。今夏を象徴するような・・・・・。虫たちも雨は嫌いなようですね。では、おやすみなさい。

 

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

viva!ミラノ

2014年9月3日(水)晴れsun

Cocolog_oekaki_2014_08_30_20_48

ミラノ・・・・・この響きからの連想は?

ファッション・・・・・流行の最先端。

そうそう、あとダヴィンチの最後の晩餐とオペラの殿堂スカラ座。

この日、午前中にヴェローナを観光。午後はそこから西へ169km離れた憧れのミラノへ。

ここが旅行の最後の目的地でした。観光の制限時間は3時間・・・お相撲見たい。

人口130万人のイタリア第2の都市、ミラノの街にバスで入ったのですが、入ってからの記憶が途切れて思い出せず、とにかく、バスを降りましたらスフォルツェスコ城の前にたっていました。

それがミラノの第一歩。

わ~凄い城壁。堀も巡らされていて日本のお城と構造は同じみたい。

それではミラノ見学・・・・・このお城からの出発です。ピ~・・・・・。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

写真 スフォルツェスコ城正面ですが、裏口から入ってここに出ました。裏口から入るのって私の得意技!

このお城、ヴィスコンティ家の要塞として15世紀に建設されたそうです。

ミラノは、今はイタリア第2の都市ですが歴史的には長きにわたって独立した自治国家で、その時々の強国に支配されたと説明がありました。・・・・・14世紀~15世紀にかけてヴィスコンティ家によりミラノ公国として大いに栄えたそうです。この要塞見ればなるほど・・・・ですね。

1084

536   524

お城の中は広く、今は、市立博物館、考古学博物館などがあり、背中合わせに緑地豊かなセンピオーネ公園がありますが、私達はそこまで行きませんでした。

1081


お城の前にある噴水です。噴水の先にダンテ通りがまっすぐ伸びています。


540

ダンテ通り。両側にお洒落な店が並び、カフェテラスの賑わいなど素敵なストリート。この道真っ直ぐ行きますとヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアに出ます。私達の次に行くところ。

舌を噛みそうな・・・・大そうなネーミングです。

547

ここが、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世は、1800年代、イタリアを統一した初代イタリア王のこと。同時期にこのガッレリアば出来て、国王の名をいただいた。

天井の素材はガラスだそうですから、もし割れたら?なんて考えてしまいました。

この天井の下、ミラノの中心。通りが十字に交差していて左に曲がるとスカラ座。右に曲がるとミラノのシンボルドゥオーモへ。

1086

この十字路に面してプラダの本店(下の写真)、ルイ・ヴィトン(上の写真)が向かい合っていました。

そして、建物の上に描かれたフレスコ画・・・四隅に描かれていて、十字のその先にある、アメリカ、中国、アフリカ、北欧を描いているとか。

1087

十字路の先は・・・西方面?

557

この十字路には床に複数のモザイクが描かれていました。写真にはとれませんでしたが牡牛のモザイクが有名・・・・この牡牛の急所をかかとで踏んで回りますと願いがかなうということで老若男女が順番に並んで回っていました。

写真は、他のモザイクで左がミラノ、右がローマの紋章。ローマの紋章は、オオカミが二人の赤子を育てている図柄。

555   561

ガッレリアの中心で解散し、1時間の自由行動になりました。行きたいところいくつかありましたが優先順位でドゥオーモへ。
ぐうたら亭主、ドゥオーモ眺めてドゥオーモこんにちは!って・・・まったく面白くないでしょう。ドゥオーモすみませんでした。

下の写真はドゥオーモ前の広場です。十字路から数十m歩き建物の中央部分から広場に出てきました。ま、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアとは隣り同士ということです。

569

広場から、ドゥオーモを仰ぎ見ますと、大理石に輝くゴシック建築の傑作!ミラノのシンボル!でも写真が悪いですね。ピンボケ!

14世紀に建設をはじめて19世紀に完成したそうです。500年かけて完成。凄いですね。

この辛抱強さはイタリア人の特性でしょうか・・・・。

618

見てください。この細かな装飾。空を突き刺すような尖搭は、135本もあるそうです。昔のことですからクレーンなどありません。どうやって運びたてたのでしょうか。

1091

建物の裏側に回りますとエレベーターがあって有料で屋上に上がれます。私達は、早速屋上へ。そこからさらにトップまでは歩きます。階段のぼったり歩いたり・・・。でも、その際見ることができた塔や、壁面の彫刻は強烈でした。

1093

  1094     1099




610     1110

たどり着いた、トップです。正面に金色に輝くマリア様。本物のゴールド!マリア様の高さ地上108.5m

1100   1101_2

搭の先には、聖人の像が・・・         広場を見下ろせば、人が豆粒のよう。

584   609

上から降りて、正面入り口に回りました。入口が5か所あって青銅の扉がそれぞれあって、物語が彫刻されています。写真は真ん中の扉で、「聖母マリア様の生涯」です。こうやってやさしくキリスト教を理解できるよう工夫されています。

1111

ドゥオーモの中に入りましたが、立派な礼拝所があってステンドグラスも素敵でした。天井が高く梁のアーチの形に特徴があるそうです。

1108_2  1107

ドゥオーモ広場を後にして、来た道を十字路まで戻り反対側へ。そこには、ダヴィンチの像がありました。

631  627


雲一つない快晴。像が輝きます。

私達の予定には、初めから最後の晩餐の見学は入っていませんでした。

ツアー選ぶとき、最後の晩餐を見学できるツアーはあったのですが、旅行日数があと二日増えます。ぐうたら亭主が見なくていいって言い張りましたのであきらめました。ここまで来て残念!

628

ダヴィンチの像の前に、オペラの殿堂スカラ座!1778年に建設され1994年に再建されたものだそうです。オペラ素敵!蝶々夫人見たいわ。


622

ミラノは、歴史・文化・芸術・産業と様々な顔をもった素晴らしい街でした。ファッションの発信ストリート、モンテナポレオーネ通りを歩いてみたかったのですが、かなわず、ミラノの一部しか知ることはできませんでしたが、ごく一部でも全体のイメージはつかめます。

viva!ミラノ!

このあと夕食にレストランで最後の晩餐、ミラノカツレツいただいてホテルに入りました。いよいよこの日が、最後の夜、明日は我が家へ・・・・・複雑な気持ちの中で眠りにつきました。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

古都ヴェローナ 

2014年8月29日(金)曇りcloud


Cocolog_oekaki_2014_08_29_23_12


この日、出発したヴェネツィアのホテルは、今回の旅行で一番良かったですね。ヤット!

特にバスルームは広く贅沢にできていました。

運河を眺めながらのすがすがしい朝食。やっぱりホテルがいいってことは旅の醍醐味ね。

455_2    460

さ~旅もそろそろ終わりに・・・・・。

この日は、ヴェローナ経由ミラノ行きでした。

と、いうことで古都ヴェローナのこと。

ヴェローナは、ヴェネチアからミラノに行く途中にあります。ロミオとジュリエットの舞台。

そして、交通の要衝。西へ行けばミラノ。北へ行けばインスブルック、南はフィレンツェ、東がヴェネツィア。ですから漢数字の十を書いてその真ん中に当たります。

市街地が世界遺産。

ですから中世の香りがあちこちでいたします。ヴェローナの人口は25万人とか。でも、観光客が多いので活気がありました。こじんまりとした素敵な街でしたから、ここの住民になりたい・・・なんて隣の芝生は青く見えましたね。

ヴェネチアからここまでの距離、120キロをバスで約1時間。

バス降りて、例によって歩け歩けでした。

すぐに城壁が・・・・。中世、敵から守るために城壁作ったのでしょう。日本では城壁は城の周りにめぐらせますが、こちらは集落全体にめぐらしていますね。


463     465

中世の街並みでしょうか。石作りの家並。車の横歩いている人たち中世の人・・・いえ、私たちのグループ。

466

道路が掘られ、古代ヴェローナが顔出していました。現在の街の下に紀元前の街が眠っているって・・・どんな街なのでしょう。歴史を感じようと覗きこみました。ま、ちょっと見ただけですが・・・・・。

471    469

さらに道なりに行きますと、遺跡のような門があり、そこを潜り抜けていきますとロミオとジュリエットでおなじみの物語のモデルになったジュリエッタの家(カブレーティ家住居)です。観光されている方のお国はバラバラのようですが大勢の人、ひと、・・。

473

悲劇の物語は人々の心をとらえるのですね。家の二階のバルコニーは、奥のでっぱり。

475

もう少し近づいて、バルコニーをアップしますと人影が・・・

この家、中を見学できるようになっていました。バルコニーから「ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはなぜロミオなの?」って声がきこえました。え?

476

この家の庭には、ジュリエットの像が立っていました。像の右胸に触れると恋が成就するといわれているそうで、若い女性が次から次へと像にふれ写真を撮っていました、その中で、若干一名、何を考えているのでしょうか、お爺さんが像にふれていました。それも堂々と・・・・(笑い)

周囲は皆ひいてしまったみたいでした。日本国の恥ですから後日銃殺刑でしょう・・・(笑い)

482

ジュリエッタの家からわずかのところにエルベ広場があります。一世紀ごろからあるといわれている広場。

三方に中世に建てられた立派な建物が立ち並び思わずその時代にタイムスリップ。

この広場の中央にヴェローナのマドンナの像。下は泉になっていました。

493

正面の館の前に円柱があって、てっぺんにいる双翼のライオンが広場をにらんでいました。

このライオン、ヴェネツィアの守護像。ということはヴェローナは、ヴェネチアの支配下に置かれたのです。

496    494

広場には、テントが並び市場があって果物や野菜など売っていました。見て歩くのも楽しかったです。

この飲み物、フルーツの上にココナッツが乗っていました。

500

エルベ広場とともに知られているシニョーリ広場。建物を挟んで反対側にありますが私達はいきませんでした。

エルベ広場からシニョーリ広場にあるランベルティの搭が見えましたのでパチリ!この搭は、昇ることができ市内が一望できるそうです。

487


広場で少し休憩して、次に向かったのがブラ広場。ヴェローナ一の銀座通りマッツィーニ通りを通っていきます。広場には1世紀に建設のアレーナ。ローマより完全な形でした。

凄いですね。現在ここで夏開かれるオペラ祭は、イタリア一とか…ちなみに収容人員18000人だそうです。

508

507   506


この建物市役所。広場の先にありました。

518

市街地風景です。

517  511_2

ヴェローナで昼食をいただいたあと、最後の地ミラノに向かいました。

バスの中で、ぐうたら亭主、ヴェローナのよかったこと、帰ったらシャヴェローナっていいますから、どうぞっていいました。

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

ヴェネツ ィア アドリア海の真珠

2014年8月24日(日)曇りcloud

Cocolog_oekaki_2014_08_23_11_03

私達の旅行、実質四日目となりました。

イタリア半島の南から北に向かっての旅。この日は、アドリア海に浮かぶヴェネツ ィア  。

ナポリ⇔ローマ間は、約220km、ローマ⇔フィレンツェ間約300km、フィレンツェ⇔ヴェネツ ィア間200kmヴェネツ ィア⇔ミラノ間約300kmと中世独立国家のイタリア5大都市間の距離は、程よい間隔です。

これくらいの距離がありますとバスの中でちょっとした休息ができます。sleepy

ヴェネツ ィアは、アドリア海の真珠といわれその美しい佇まいは世界遺産。

私は、英語のヴェニスという地名で尋常小学校のころ社会科で習ったような・・・・記憶がありません。(笑い)そうですね。習ったのは戦後の新制小学校。

近くで寺小屋しょう~・・・なんて声が。ムッ!

ベニスといえば、シェークスピアの「ヴェニスの商人」って反射的に浮かびます。高校生のころシェークスピアは読みましたので「借金の担保に自分の肉」・・・・こんなとこだけは覚えています。あと、運河とゴンドラ、カンツォーネ。

ヴェネツ ィアは118の島からなって、運河の数150とか、そして橋の数400。

驚いてしまいますね。

こちらに来るバスの中で、窓外に見える内地の広大な土地を眺め、何故、沈みそうな島が良いのかしらって疑問に感じました。

でも、歴史的な理由はあるにせよ、中世海運国では、物資は船で輸送しますから、島の方が便利ですね。

中世には鉄道も車もありませんから頼りは船。運河が作られた理由も分かりました。

ま、そんなことで陸路ヴェネツ ィア本島の入り口まで長いクベルタ橋を渡ってバスで乗り入れました。

橋を渡り終えますとそこから先は、徒歩か船で移動します。ヴェネツ ィアは、運河が網の目のように張り巡らされていますから車の乗り入れは禁止。

ところで、下のへたな図が大まかなヴェネツ ィアですが、ヴェネツ ィア本島の面積は、5㎢と大変狭いですね。このような島が集まって国家を形成し中世偉大な発展をしました。

その遺産が人類の宝になったこと、信じられませんが人の力の奥深さを改めて知らされることとなりました。昔のヴェネツ ィアの人頑張ったのね。

Cocolog_oekaki_2014_08_23_15_22

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。・

それでは、お時間拝借しまして本島の名所へ・・・・・・・・。

バス降りて少し歩きますと、駅があり名前見ましたらサンタ・ルチア駅。どこかで聞いた名前。

サンタ~ルチア・・・・♪イタリア民謡にありましたが・・・・でもこの歌はナポリの港のサンタル・ルチアのこと。・・・・・聖ルチア・・・。この駅も同名聖ルチア。

329

ホテルは駅から歩いて5分という繁華街の中。まずはホテルに荷物を置いていざ!出発。

行く先はサンタ・ルチア駅から大運河カナル・グランデの終点にあるヴェネツ ィアを代表する場所、サン・マルコ広場へ・・・・・船は、駅前から乗れます。

328_2    788

運河を船で気持ちよく進んでいったのですが、途中にある見所、見とれてはいたのですが識別がつかず行も帰りも何となく見過ごしてしまいました。ま、反省ですね。

運河の終点サン・マルコにつきました。

サン・マルコ広場は、ヴェネツ ィアの一番の見どころです。私たちのこの日の予定はサン・マルコ広場中心の見学と、ゴンドラに乗ることでした。まずは、サン・マルコ広場へ。

船着き場の正面に見える建物、バラッツオ・ドウカレ宮殿(統領宮)

この建物、9世紀初頭から統領宮でその後改築など手を加えられ15世紀に現在の建物になったそうで、この建物はゴシック様式によるヨーロッパの一大傑作だそうです。

361

この絵は、プチントーロの帰還  カナレット1729年 この絵にある建物ドウカレ宮殿現在と同じ姿ですね。あとから出てきますが2本の円柱も見えますね。

Img_20140824_0005

ドウカレ宮殿の横に運河があり、その運河に架かる橋、名は溜息橋。左側の建物が宮殿で右側が牢獄。裁判で有罪になると橋を渡って牢獄へ・・・地下の牢獄は満潮時水位が上がると水浸しになってここに入ると二度と戻れないということで橋を渡る際溜息が。

363    791

ドウカレ宮殿の左側、図書館との間に小広場がありますがここから、サン・マルコ寺院に向かいます。小広場の入り口に12世紀に建てられた2本の円柱が立っています。円柱の上には、有翼の獅子像(ヴェネツ ィア守り神・共和国の紋章)と聖テオドール。ここを守ろうと海の方を見ています。

384      705

小広場、上から見ますとこんな感じです。左の建物が宮殿。右が図書館。入口に上で書いた2本の円柱が見えます。

753

小広場を奥に進みますと、サン・マルコ寺院。上の方で工事していて上部が隠れています。残念でした。


387

寺院の正面はこちらです。重厚感溢れる建物です。

711

この絵は、聖マルコの奇跡を祝う行列 ジェンティーレ・ベリーニ 1496年 サンマルコ広場と聖マルコ寺院が描かれていますがほぼ現在と同じ姿ですね。

Img_20140824_0004

中は、こんな感じで、5つのドーム屋根があり黄金のモザイクで装飾されるなど豪華。

聖・マルコの遺骸を二人のヴェネツ ィア商人がエジプトから運び、安置するために寺院が建てられたということです。

時代は西暦828年のこと。その後増築され11世紀に現在のようになったということでした。

ところで、聖マルコという人どんな人?

阿刀田 高著「新約聖書を知ってますか」によれば、「イエス・キリストがなくなってその後20年ほどたってパウロの手紙が次々に書かれ、60年代にマルコの福音書が書かれ、80年代にマタイによる福音書、ルカによる福音書が書かれている。・・・・・・・新約聖書27巻が聖典として正式に認められたのは西暦397年のカルタゴの宗教会議においてだった。」

何となくわかった感じですが・・・最初にキリストの言行録(福音書)を書いた人。名に「聖」がついてますから聖人。・・・・偉い人ということで。

714

サン・マルコ広場・・・・ナポレオンが世界で最も美しい広場といったそうです。

正面が寺院。右のとがった建物が鐘楼。左の建物が旧の行政館政庁で右が新の行政館。

広場は大理石ですからナポレオンでなくても美しいっていいますね。左右の新旧行政館の一階には、ショップがあってここ覗いたのも楽しかったです。

412

左の写真、旧行政館側。正面の建物は、時計塔。時計塔は、15世紀に建てられたもので今でも時を刻んでいますから驚きですね。右の写真は、広場のカフェ・・・お洒落ですね。

712414

   

寺院の見学を終え、ヴェネツ ィアンガラス工房見学。添乗員さんに案内され、と、ある建物の2階へ。

凄いでしょうね。そんな期待を込めてまいりました。部屋には説明者とおじさんが一人いて、おじさん見事な小鳥を作りました。その間3分ぐらいでした。

そして別の部屋に全員が集められ品物の説明。値段がうん万円!

それが終わると大勢の店員さんが出てこられて、お客一人に店員一人。

完全に逮捕されて(笑い)逃げるの大変だわ。マンツーマンですから。(笑い) 

保釈金お変わりに、私は、トンボ玉一個2500円を5個買いました。これだって12500円ですから。保釈されやれやれでした。(笑い)

ベネチアングラスは、叔母からもらったものが一式あったので、もういいわって感じでした。これ、驚いたことに、7~8万円してました。

735  142

工房見学と称したイベントが終わって自由行動。みなさんお好きに…ということでしたが、今回の旅行で、この約2時間の自由行動が良かったですね。

私はヴェネツ ィアを上から眺めたくて早速、鐘楼に上がりました。鐘楼の高さは、96,8m。

9世紀のものが1902年に倒壊し再建されたそうで、今ではエレベーターで上に上れます。有料になっていまして、暫く並び最上階につきますとまさに360度の視界でした。この島が真珠の意味ようく分かりました。

サン・マルコ広場が眼下に・・・広がっていました。

748

サン・マルコから運河を隔て、サン・ジョルジョ・マジョーレ島を望みました。サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂は、16世紀の起工でティントレットの最後の晩餐があるそうです。が、ティントレットを知りません。トホホ・・・

聖堂の姿美しいですね。まるで絵のようです。

750

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネチアにおけるバロック様式の代表的な建物。運河挟んでたつ姿美しい。1631年竣工、完成まで半世紀以上かかったそうです。

431

ここどこの島?わかりません。

ヴェネツ ィア映画祭は、本島から少し離れた島のうちリド島で開かれているそうです。どれがリド島かわからずでした。

436

これは、前に出ましたドウカレ宮殿。西側から見ています。手前は小広場。

440


ドウカレ宮殿の後ろにサン・マルコ寺院の屋根。

439

鐘楼から眺めた景色に大満足しここを後にして、広場に出ました。

カフェでは演奏が・・ここのカフェ、名前カフェ・フローりアン、ワーグナーらが通ったという伝説の店で、雑誌で紹介されています。お店の前でパチリ、中には入りませんでした。

764  415  

行政館の下のお店には、ヴェネツ ィアの仮面などが並んでいて面白かったですね。

410    737

この後、広場の突き当りが博物館になっていまして覗きたいと思いましたが時間の関係で博物館の下を通り抜けて広場から離れました。

広場の外には、シャネルなどブランドショップが並んでいまして、お目当てのルイヴィトンへ。そこで、リンゴのためにお財布を一つ買いました。リンゴには志望大学受かったときのお祝いということで。まだ先のことですが、馬の鼻先に人参・・・・効き目はあるかしら・・・

ルイヴィトンが終わって、今度は広場に戻り、反対側、サン・マルコ寺院の裏の方に適当にいってみました。こういう冒険的なことはワクワクしますね。運河や橋にぶつかりながら迷路のような路。

もう少し先、もう少し先と歩きましたら、レース屋さんを発見。ヴェネツ ィアでは、ブラーノ島のレースが有名。16世紀と古くからある伝統的なものですからエイ!とお店に入りました。

やはりよいものがたくさんありました。欲しいものがあったのですが値段が・・・それで一枚ばかりget・・・・でも楽しかった。

775   784

ヴェネツ ィアの裏どおりは、迷路のようですからついに誰もいないところに出て、見ましたらお隣の国の人でしょうか。結婚式の写真を撮っていました。専門のカメラマンをどうこうしているような感じでした。感激縫って、写真撮って良いか断ってパチリ!ロマンチックですね。

こんなことして気がつけば、時間がないわ。どう帰ればよいか私にはわかりません。ぐうたら亭主犬見たいですから絶対間違えません。無事集合場所にぴったりの時間についてめでたしめでたしでした。


782

このあと、ゴンドラに・・・・何台かに分かれて約20分くらいでしょうか。ゆったりと水上都市の景観を楽しみました。驚きましたが、舟のこぎ方日本の伝馬船に似てましたね。



797



366  796

ゴンドラが終わって、船を乗り換え大運河をホテルのあるサンタ・ルチアに戻りました。時刻は7時半を回っていました。今日の夕食は各自で・・・・・。

私は、こちらに来てスパーにいっていませんから亭主に行きたいって頼みました。

ホテルの方に伺って・・・・街をぶらぶら行きますと・・・・・コープをみつけました。

牛乳、サラダ、生ハム(パックにいっぱいで500円)、あと、ホテル近くにあったお店でベーコンと野菜の入ったサンドイッチをgetしてホテルで慎ましい夕食。

ホテルの周りは、こんなぐわいでした。マカロンのお店、7時半には閉めてました。

810   811

夕食のサンドイッチと生ハムとミルクとあと何か?生ハムは私の大好物。亭主は食べませんから私だけで食べて、お腹いっぱい。亭主はミルクのみ亭主ですから、ミルクさえあれば満足。、イタリアにきて一番おいしい夕食でした。(笑い)これ、ほんとの話。

819  

参考 この日のレストランでの昼食、イカ墨のスパゲティなどでした。

686    690

691    692 

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

イタリア フッフィッツィ美術館

2014年8月18日(月)晴れsun.

Cocolog_oekaki_2014_08_18_21_59

フッフィッツィ美術館の位置は、フィレンツェ歴史地区の中央あたり。

ベェッキオ宮殿と道を隔てて建っています。1560年メディチ家のオフィス(行政局)として着工その後竣工したものだそうです。

「フッフィッツィ」は、「オフィス」が訛ったもの。いや、すみません。訛ったのではなくイタリア語だそうです。(笑い)

そういえば、どことなく発音が似ていますね。イタリア語カタカナにしても読めません。(笑い)

家のぐうたら亭主、最近齢のせいでしょうか。オをウと発音したりしますのでオフィスをウフィス・・・・。私のこと、お母さんをう母さん。

「う母さんは、う仕事をおれしそうにしています。」これ、なおしますと「お母さんは、お仕事を嬉しそうにしています。」になります。なに。これ・・・私全然嬉しくはないわ。(怒)

くだらない亭主の話はやめまして・・・

お話元に戻し、1765年にメディチ家は収集した作品を正式にウフィスに展示、美術館として1765年に一般公開したそうです。

この時代にミュージアムを開設するって驚きですね。

現在、作品は、ルネッサンス前からルネッサンス後までの価値ある作品群を常時2500点展示されているそうで、その迫力は圧巻です。とても短時間では見切れません。

現地の日本人ガイドさんが、そこは予定の時間に合わせ、上手に日本人好みの作品を説明する仕組みになっています。

観覧は約1時間くらいだったでしょうか。

もったいないと思ってもやむを得ないですね。

展示されてる絵を数枚、日本の美術館に借りてきて展示すれば、十万・二十万人もの人を集めるようなそんな作品ばかりですが、ここではさりげなく展示されていて、「えっ?この絵が」・・・・この美術館はやはり凄い。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

さ~展示場の中へ、et's Go!

写真 この通路を行けば入口がありそこから入場しました。

208

美術館は、コの字型になっていまして、校舎のようでした。

絵画は3階に集められていて、3階の展示場は、年代別、作者別に45の部屋に整理され系統的に見ることができます。

展示室へは、コの字の通路から入りました。

224_2

回廊の天井には絵が描かれていました。が、絵の内容はよくわかりませんでした。


1017   1018


それでは、ガイドさんのあとについて・・・・・・。

第2室(1200年代絵画)からの見学でした。(トスカーナ絵画の起源となる絵画群)

ジオット(ジョット)

・マエスタ(オンニサンティの聖母)(1306-1310)

この絵は、板にテンペラで描かれています。

ジョットといえば、前回のブログで取り上げましたように花の聖母大聖堂の鐘楼の設計を任された画家。

この時代の大家、ヒーローだったのですね。この絵は、写実的でしかも三次元的な空間の中に、聖母子が配置され従来の絵にない革新的な絵だそうです。よくわかりませんがルネッサンスの予兆?

1019

第8室 リッピ親子ほかの1400年代の絵画の部屋。

フィリッポ・リッピ(1406ー1469)

・聖母子と二人の天使(1465年)

この絵はこの部屋では最上位ランクの絵で、巨匠ポッティチェッリに影響を与え、背景の描き方は、ダビンチにも・・・・だそうです。なによりもマリア様の優しさが画面から伝わってきました。

212

ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-1492)

 ・ウルビーノ公爵夫妻の肖像(1472-1474)

フランドル絵画の特徴がみられる秀作だそうです。フランドルは現在のベルギー・オランダあたりでしょうか。フランドル絵画といえば、ボスやフリューゲルなど好きですね。

この肖像画、名画だそうで、肖像画にしてはわけありで横顔。

人物だけではなく後方の景色の描写も素晴らしいそうです。

1021

第10-14室 ポッティチェッリ

部屋の様子はこんなでしたね。

219

サンドロ・ポッティチェッリ(1445-1510)

 ・マニフィカトの聖母(1481-1485)

有名な絵。いずれにしてもポッティチェッリの描いた聖母ですから。

板に描かれているそうですが、何百年たっても板が変形しないのは、職人の木工技術が優れていたからだそうです。ビバ!フィレンツェ!

1022

ポッティチェッリ 

 ・ヴィーナスの誕生(1484年) リンネル布にテンペラ

あまりにも有名な絵ですね。この美術館の目玉。上の絵は板に描かれていますがこの絵は布に。ようやく布に描かれるようになったのですね。

214

下の写真は、ベルリン国立美術館展が西洋美術館で開催されたときのポッティチェッリの「ヴィーナス」。1485年の作品ですが上のヴィーナス姿が酷似しています。こちらの方が1年あとの作品ですからヴィーナスの部分だけを切り取ったみたいですね。

Img_20140818_0002


ポッティチェッリ 

 ・春の寓意(1482年) 板に油性テンペラ

上の絵とともにポッティチェッリの代表作、そしてルネッサンスを代表する絵画。こちらも中央に立つのはヴィーナス。左で踊るのは三美神。それにしてもカメラが悪いのか腕が悪いのか下手ですね。もったいないです。私が気になったのはヴィーナスのお腹・・・大きい?

昔の西洋の美人の要件、お腹が大きいことって本で読んだ記憶があります。
217

三巨匠の絵

第15室 レオナルド

レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519年)の作品は絶対数が少ないので、この美術館でさえもわずかしかありません。

 ・受胎告知(1475-1480年) 板にテンペラ

この絵日本へ来ましたね。見に行きましたよ。人が凄かったのを覚えています。それだけレオナルドの絵には、人々が引き付けられてしまうのですね。

1029

日本に来たときのポストカードをスキャンしました。

Img_20140818_0003

ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ビンチ   

 ・キリスト洗礼(1473-1478年)板にテンペラ

この絵は、合作。左に二人の天使がいますが左側の天使とバックをレオナルドが描いたそうです。当時ヴェロッキオはレオナルドの師匠でしたが、レオナルドの技量の高さにこの後絵を描かなくなったそうです。私には、二人の天使の違いが分かりませんが明らかに違うそうです。天才レオナルド!

1032  223

第35室ミケランジェロ

ミケランジェロ・ブイナローティー(1475-1564)

 ・トンド・ドーニ(聖家族と幼い洗礼者ヨハネ)(1506-1508年)板に油性テンペラ

フィレンツェに現存する唯一のミケランジェロの絵画だそうです。1500年代においても最も重要な絵だそうですが、何故かは私ごときにはわかりません。ミケランジェロの絵だから・・・そんな単純な理由ではないですね。右横に半身で十字架を左手に持つ幼子がヨハネ。中央は聖ヨゼフ、イエス、マリア様。後方の裸の若者の描き方が古代彫刻から影響を受けたとのことでした。ウ~ム・・・

1034

第66室(2階)  ラッファエロ

ラッファエロ・サンツィオ(1483-1520)

 ・ヒワ鳥の聖母(1505-1506年)板にテンペラ

この部屋には、他に7枚の彼の作品がありました。イエスとヨハネ。それにマリア様。ラッフアエロの絵にはよくありますね。この絵の背景は、風景が細かく描かれています。

昨年3月に国立西洋美術館でラッファエロ展がありました。その時の目玉で大公の聖母(フィレンツェ・パラティーナ美術館)がまいりました。優しいまなざしは同じですね。

ちなみに、ラッフアエロの聖母子像は40ほどあるのだそうです。

そうそう、この時ラッフアエロの自画像も来ていて、その絵がこの部屋にありました。私にとっては再会になりました。

243

途中の窓から外を見ましたらヴェッキオ橋がみえました。すぐ近くでした。

227

第28室 ティツィアーノ

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576)

 ・ウルビーノのヴィーナス(1538年)キャンバスに油彩

ティツィアーノは、フィレンツェというよりお隣のベェネツィ派の画家。

この絵は、ティツィアーノの名作。人物がじっとこちらを見つめている姿は官能的だそうです。

プラド美術館にあるティツィアーノの「ヴィーナスとオルガン奏者とキューピット」日本にきましたが横たわるヴィーナスの向きは違いますが同様官能的でした。この絵は、後世の巨匠マネのオランピアや、ゴヤの裸のマハにつながっていったのではないかと思いました。

244

ティツィアーノの部屋を出るときふと見ましたら、日本で見た(イタリア・ルネサンス・宮廷と都市展 2001年・西洋美術館)「フローラ」(花の女神).にもあいました。

Img_20140818_0001

第64-65室

アニョロ・ブロンズィーノ              

ルクレツィア・パンチャティキの肖像       エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョバンニの肖像(メディチ家コジモ一世の妻)

239  242

カラヴァッジョ   イサクの犠牲  

1038

追記

最近知ったのですが、今年の10月から東京都美術館でフッフィッツィ美術館展があるそうです。その目玉は、ポッティチェリの「バラスとケンタウロス」

この絵、ポッティチェリの部屋にあったのですが、見過ごしました。

大変残念です。「ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで」・・・・さて見に行こうか行くまいか・・・・・。心が揺れます。

展覧会の詳細です、→http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_uffizi.html

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

マジョリン通信

撫子さんへ

こんばんは~

ご無沙汰しています。お元気のご様子何よりです。土曜日の日、今、清水で行われています全国少年少女草サッカー大会に孫の富士太郎が参加していますので応援に行ってきました。改めて清水のこと書こうと思っています。

ところで、桃のこと・・・綺麗にカットされてよかったですね。私も、あれから桃をと思っていましたが掲載するときが桃の在庫の終わりで、それ以来、桃なし暮らしです。

いずれにしても撫子さん、取り上げていただいてありがとうございました。バラさんもトライしてくださいました。ありがたいことです。loveletter

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

花の都フイレンツェ

2014年8月13日(水)晴れsun



Cocolog_oekaki_2014_08_10_11_54

この日、ピサの斜塔をバスで出発したのは午前11時過ぎ。i同じトスカーナ州にあるルネッサンス発祥の地フィレンツェへ。

フイレンツェ・・・来れてよかった。

ミケランジェロ、ラッファエロそしてダヴィンチと数多くの芸術家を育んだ地。

ルネサンスの意味は、私の中ではあいまいですから適当に、精神文化などの新しい波、必然的に芸術にも・・・・それによって最高の芸術が次から次へと生み出された時代・・・・・そう理解しています。

ピサから1時間でフイレンツェに着きました。バスはまちの北側からはいりました。

ここがそうなんだ。

どの建物もセピア色していました。

まちの中を南に進むと東西に流れるアルノ川に突き当たります。

アルノ川、流れがありません。

川向こうの街並みと一体感を出すため、流れを抑えているそうです。昔にこのような知恵と技術があったのですから人間って凄いですね。確かに、まちが一体化して見えました?

322

橋を渡って小高い丘にバスは上り有名なフイレンツェ市内を一望できるミケランジェロ広場へ。

中央にミケランジェロ作ダビデ像・・・・ただしレプリカでしたが立っていました。

1015

ここからだわ。私がどうしても見たかった景色。わ~・・セピア色の家並が続き絵のよう・・・このまち誰がどうやって?

フイレンツェの人たちの美意識の高さに脱帽ですね。フイレンツェは、人類にかけがえのない遺産を残しました。

1982年世界遺産登録。

1013

真中の大きな丸屋根は観光の目玉、花の聖母教会のドゥオーモ(大聖堂)正式名サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会、長くて覚えられません。

1007

こちらの高い塔はヴェッキオ宮殿。その手前にウッフィッツィ美術館。見えませんが搭の下にフイレンツェの歴史の中心シニョリーア広場があります。この写真は、上の聖母教会の左側地域にあたる写真です。

175

この写真、アルノ川にかかるフイレンツェ最古の橋、ヴェッキオ橋。

橋の上には金細工店が連なっていて名所。観光予定に入っていましたが、理由の説明もなくスルー。プンプン!コトブキ色した小判買いたかったのに・・・・(笑い)

1014

さて、バスから降り歴史地区を歩きました。

重厚な石造りの建物が連なって、中世にタイムスリップです。

フイレンツェは、職人の街。

中世、フイレンツェの繁栄は、織物や家具製造、革製品製造など盛んで職人の力によるのだそうです。それと、薬屋から後に金融業で巨万の富を築いたメディチ家。メディチ家の存在が職人技と合わせてルネッサンスの花を大きく開かせた・・・・・ということでしたね。

251   203

あ、そうそう歩き始めてすぐにレストランで昼食でした。左の写真、通りから入ったレストラン。右側の写真は、私達ツアーの仲間。

お仲間のこと。素晴らしい人たちばかりでした。

毎回、食事の際は相手を選ばず座りますのでその都度違う人。相手がどなたであっても皆さん変わらずフレンドリーでした。

これってすごいと思いました。

次第に分かってきたのですが、皆さん旅のベテランぞろいでした。

年4回もという方も。うち以外は、語学が堪能なのには驚きました。様々なこと添乗員さんの手をわずらわせずご自分で処理なさっていました。

190  197

198 200

食事がすんで、まず、シニョリーア広場へ。この広場、歴史ある建物に囲まれていて広さはサッカーグラウンドくらい?

257

広場北側にはヴェッキオ宮殿。かっての政庁で今は市庁舎。

この建物の前にダビデ像のレプリカが。ダビデ王は、マリア様のご先祖ということはイエスキリストのご先祖ってことで。

268   1040

また、ネプチューンの噴水も。東側のバルコニーにはメドゥーサの首を持つベルセウスの像。

1043  1039 

メドゥーサ・・ギリシャ神話に出てくるのですが頭の毛が蛇、歯がイノシシの妖怪。ベルセウス(ゼウスの子)に首をはねられます。

262

この広場を見学して、隣にあるウッフィッツィ美術館へ・・・・

1003

美術館は、見学のハイライト。ここのことは次回に整理したいと思います。

美術館見学のあと少し離れたところにある、花の聖母教会、ドゥオーモ(聖堂)へ歩を進めました。

13~15世紀にかけて建設されたフイレンツェの象徴

このドゥオーモの施設でジョットの設計した鐘楼(高さ85m)がありました。聖堂ともども芸術性高い建築物だそうです。

1045

威風堂々としたドゥオーモ。大理石が美しくまぶしい。

314

ドゥオーモへの正面入口。右の写真は、ジョット作の鐘楼・・突然、ぐうたら亭主、「ジョットどいてください。ドゥオーモすみません。」っていってました。レベルの低いこと相変わらずです。(笑い)

ところで、ジョットの鐘楼は、コースにはないオルサンミケーレ聖堂とともにフイレンツェの象徴的な建物で、ルネッサンス芸術につながる深い意義があり必見だそうです。このことは、2004年10月~12月東京都美術館で開催された「フィレンツェー芸術の都展」で知ったのですが、じっくり見ることはできず残念でした。

1048  311 

「フィレンツェー芸術の都展」の本、277ページもある分厚い本で行く前にとても読み切れず、見切り発車でしたので、真面目に読んでいけばもっと楽しく見られましたね。でもやっぱり無理です。

しかし、こういう企画を開催できる日本の国ってすごいですね。

050

フィレンツェの鳥瞰図               鐘楼のこと

008  003

ドームの中、天井には、フレスコ画、最後の審判が描かれていました。力作ですね。

1058

大聖堂を観光して、フイレンツェを後にしました。この日の宿泊は、前日と同じホテルでした。

次はヴェネツィア・・・・・です。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

感想 フイレンツェを見学してじわじわとイタリアの素晴らしさが・・・・

フイレンツェは、見所がまとまっていました。徒歩で結構歩くことになりますが飽きることはありません。ウッフィッツィ美術館は名画で溢れ観光の中心。多くをみたければ時間がかかりますので、個人旅行で納得いくまでが良いような気がしました。特に若い人たちには・・・・・


話は変わりますが、私が、よくいきます箱根の成川美術館。ここで何回か個展を開かれた柳沢正人さんは、実力派の日本画家です。

作品の中には、イタリアを描いた作品がたくさんあります。下の写真、成川美術館にあるミケランジェロ広場からフイレンツェを描いた作品ですが素晴らしい絵です。

また、私の寝室には、同じ場所からヴェッキオ宮殿を描いたリトグラフが掛けてあり、毎日目にとまります。

この日は、絵と同じ景色を見ることができてよい思い出になりました。

写真

以前本屋さんで買った日本画実力派の柳沢正人さんの画集・・・

042

この本の中に収められているフイレンツェの風景素敵でした。…(この絵は成川美術館にあります。)

045



bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン











ローマ 想像の翼

2014年8月3日(日)曇りcloud

Cocolog_oekaki_2014_08_03_11_44


「永遠の都ローマ」こんな枕詞をいただいたローマは、世界の中で特別なんですね。

私がローマにあこがれたのは映画「ローマの休日」

あの映画、何回見たかしら・・・・

映画に出てくるシーンは頭にこびりついていて、ローマ全体のイメージにつながりました。

映画が、ローマの街に対する私の創造の翼を広げました。「想像の翼」…(クスクス)

この日、ヴァチカンをでて、添乗員さんに連れられて急ぎ足でお土産屋さんへ。お土産屋さんへ行くの、ちょっと早くないかしら?

それでも、今の私達囚われの身(笑い)添乗員さんのおっしゃる通りに行動します。

お店に約一時間いて、それからバスの待つバチカンの入り口付近まで戻りました。

ここからいよいよローマへ。ローマに入るには街を南北に流れるデヴェレ川を渡ります。

川を渡りますとすぐにローマ歴史地区。

それらしきものがバスの中から見えましたのでパチリ!何かしら?古代の遺跡ね・・・・

フォロ・ロマーノの一部?かしらと期待がむくむくと湧いてきました。

922_2

そこからバスは進みまして、見えたのは写真などでよく見る建造物。

コロッセオだわ!バスの中から急いでパチリ!

大正時代、いや、すみません間違えました。どなたでもご存じの古代ローマ時代、最大級の建築物だそうで円形闘技場。5万人収容できたといいますから驚きです。

ここは、降りずにバスの中からの見学。あっという間でしたから写真撮るので精いっぱい

でした。

924

コロッセオ通る時、隣の席で、亭主オレ、殺(コロ)っせ!オーなんて馬鹿なんこと言ってました。・・・ここにきてまでも亭主、バカですねぇ~。(笑い)

亭主のこと相手にせず、ウ~ムこれがそうなの・・・・・・。コロッセ(殺ッセ)オー

お土産やさんに寄らないでここ見たかったわ。思わず、愚痴が出てしまいました。

Cocolog_oekaki_2014_07_23_22_28

コロッセオ過ぎますと、カンピドリオの丘。

ローマには7つの丘があるそうですがその中で一番高い丘だそうです。そこに建つのはローマの中心、市庁舎。

市庁舎にしたら小さい感じ・・・・。由緒ある建物なのでしょうね。説明きいていましたら、この建物は、中世に建てられたようですが、場所は、古代の古文書館のあったところとか。古代に古文書?わからなくなってきました。(笑い)

前に広がる小さな広場、この広場は、天才ミケランジェロの設計だそうです。それ伺って、ま~幾何学模様が素敵だわ。(笑い)

広場の両側には美術館と宮殿が立っていました。

広場の中心に立つ騎馬像は、マルクス・アウレリウス・アントニウス(第16代ローマ皇帝)

931

私達の目的は、この庁舎の裏手です。観光客が一杯!

ここが、フォロ・ローマノ・・・・古代ローマの遺跡群を俯瞰してみるベストポジションといっておりました。

当時の政治経済の中心で、元老院、神殿跡などが残っているようですが、上から説明受けただけでは、よくわかりませんでした。凱旋門と神殿の柱は分かりましたがここも下に降りてゆっくり見なければ・・・・そんな感想もちました。

925


926

ここで、写真撮って、再び市庁舎の前に出て少し歩きますと、白い堂々とした建物が見えました。

ベェネツイア広場に面したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂でした。

934  932 

この建物、1911年の完成と新しい。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、1850年代にイタリアが統一され、その建国の祖とされているそうで・・・・

イタリアという国の歴史は複雑で、歴代登場人物の名前がこれまた覚えられず、例えばアウレリウス・アントニウスのこと、思わず、アウトレット・アントニウスなんて書きそうになりました。(笑い)

935

ここもほとんど、写真撮っただけで目的のトレビの泉へ歩を進めました。途中、パンテオンが近くでしたから見たかったのですが、予定に最初から入っていませんから仕方ないですね。

イタリアの気候は、この時期晴れた日は日本と同じとのこと。私達運が良いそうでやや気温は低めだったそうです。

歴史地区は、バスは入れず歩くのがルールで歩いたのですが暑さは影響しませんでした。各自、自分の足だけが頼りでガイドさんの持つ旗を見失わないように一所懸命。

ようやくトレビの泉に着きました。

トレビの泉・・・・・あら!工事用の鉄パイプに囲まれて、え?なんなんでしょう。

ガイドさん・・・残念ですがこのような状況ですからここに来たということで・・・ムニュムニュウムニュ・・・・。

私達グループは、一人を除いて紳士淑女ばかり。紳士のどなたかですが、こんな姿は今後、見られないからラッキーだと思いましょう・・・・・。う~んできてるわ。うちの亭主とは大違いね。

別の機会にお話ししますが、うちのグループ素晴らしい人たちばかりでした。

噴水がどうなっているのか、大理石の彫刻は?離れていて全くわかりませんでした。ま、工事現場見たみたいでしたね。これならパンテオンの方が・・・・。

ここにいること、約5分ぐらいだったでしょうか。先へ行くガイドさんについて歩きます。よく歩くわね。石畳の上をせっせせっせ・・・・・次の目的、スペイン広場の階段へ。

938

939

オードーリーヘップバーンがアイスクリーム食べた階段…スペイン広場の階段です。

ヘップバーンがいない階段・・・観光客は多くいましたが、私には普通の階段にしか見えませんでした。

もう二度と出ないかもしれない稀代の妖精女優。彼女の放つオーラは周囲の景色まで特別のものにしちゃったのですね。

ところで、この階段でもバックのトリニタ・ディ・モンティ教会の搭が工事中でした。

私達のローマ巡りは工事現場視察?・・・・(笑い)

941

ま、こんなわけで歴史地区を離れバスに乗りレストランへ。で遅い昼食をとりました。この日の昼食はピザで6種類から好みのものを選べる仕組みでした。いかがですか?美味しそうでしょう。

亭主がマルゲリータで、私がきのこピッザ。周りが焦げすぎでしかもしょっぱくて・・・コメントこれくらいにしておきます。(笑い)

955


956   958

昼食後、バスに乗りローマを離れ北に向かって今夜の宿泊地カレンツワーへ・・・・・・。今日、ローマのこと書いていますが、私が訪れたことのあるパリ、ロンドン、NY、ワシントンと比較して永遠の都ローマが、最も印象が薄かったのはなぜだったのでしょうか。

あえて、印象に残っていることといえば、古いローマの石造りのビルに街路樹のキョウチクトウの花(白、赤、ピンク)がとても合っていたこと。あら、キョウチクトウ素敵だわってうちのそばで咲いている花を改めて見直しました。

ローマの街の一部をスナップしました。ゆっくり気ままに回ればローマが永遠の都だということはわかるかもしれませんね。あ、そうそう、帰りがけバスから真実の口のあるサンタ・マリア・コスメディン教会を見ることができました。

946   947


948   949

950  951


953 954


下の写真は、この日のホテルの中と7時30分からの夕食。夕食は思い出さないのですが、写真が少ないのは撮り忘れでしょう。夕食の際、一番若い方から、今日はどれくらい歩いたと思いますかって聞かれてましたが、2万歩だそうです。この方の歩幅が70㎝としますとざっと14㎞ってところでしょうか。

969    974

ミネステローネとアイスクリーム。パンが出て他にも出ましたが撮り忘れました。
977   978

この日のお土産

義理の息子と息子にバンドを買いました。

134_2

一口メモ

添乗員さんが案内する旅行期間中のお土産屋さんのことについて考えてみました。

今日の場合、肝心のバァチカンの見学は約く1時間で、お土産屋さんも約1時間。貴重な午前中をこの時間配分どう思われますか。

確かに、旅行の楽しみはお土産買うことも大きな要素です。

ここでいやなこと書きますが、旅行会社がお土産屋さんへツアー客を連れていく仕組みは、お客さんからの要望によるものが一番大きな要因だと思います。

ただ、それが度が過ぎてしまいますとおかしくなりますね。

旅行会社?、お土産屋さん、お店で働く日本人、お客さんの四者全員がハッピーになるということがこの仕組みの基本だと思います。

でも、今回のツアーは、お店いくのことが頻繁でしかも時間が長く、亭主など、私のお付き合いですから頭から湯気が出っぱなしでした。(笑い)

会社の意図もわからないわけではありませんので、そこはスマートにやっていただければよいと思いました。一口が長すぎましたね。すみませんでした。










bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

より以前の記事一覧