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2014年8月

古都ヴェローナ 

2014年8月29日(金)曇りcloud


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この日、出発したヴェネツィアのホテルは、今回の旅行で一番良かったですね。ヤット!

特にバスルームは広く贅沢にできていました。

運河を眺めながらのすがすがしい朝食。やっぱりホテルがいいってことは旅の醍醐味ね。

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さ~旅もそろそろ終わりに・・・・・。

この日は、ヴェローナ経由ミラノ行きでした。

と、いうことで古都ヴェローナのこと。

ヴェローナは、ヴェネチアからミラノに行く途中にあります。ロミオとジュリエットの舞台。

そして、交通の要衝。西へ行けばミラノ。北へ行けばインスブルック、南はフィレンツェ、東がヴェネツィア。ですから漢数字の十を書いてその真ん中に当たります。

市街地が世界遺産。

ですから中世の香りがあちこちでいたします。ヴェローナの人口は25万人とか。でも、観光客が多いので活気がありました。こじんまりとした素敵な街でしたから、ここの住民になりたい・・・なんて隣の芝生は青く見えましたね。

ヴェネチアからここまでの距離、120キロをバスで約1時間。

バス降りて、例によって歩け歩けでした。

すぐに城壁が・・・・。中世、敵から守るために城壁作ったのでしょう。日本では城壁は城の周りにめぐらせますが、こちらは集落全体にめぐらしていますね。


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中世の街並みでしょうか。石作りの家並。車の横歩いている人たち中世の人・・・いえ、私たちのグループ。

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道路が掘られ、古代ヴェローナが顔出していました。現在の街の下に紀元前の街が眠っているって・・・どんな街なのでしょう。歴史を感じようと覗きこみました。ま、ちょっと見ただけですが・・・・・。

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さらに道なりに行きますと、遺跡のような門があり、そこを潜り抜けていきますとロミオとジュリエットでおなじみの物語のモデルになったジュリエッタの家(カブレーティ家住居)です。観光されている方のお国はバラバラのようですが大勢の人、ひと、・・。

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悲劇の物語は人々の心をとらえるのですね。家の二階のバルコニーは、奥のでっぱり。

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もう少し近づいて、バルコニーをアップしますと人影が・・・

この家、中を見学できるようになっていました。バルコニーから「ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはなぜロミオなの?」って声がきこえました。え?

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この家の庭には、ジュリエットの像が立っていました。像の右胸に触れると恋が成就するといわれているそうで、若い女性が次から次へと像にふれ写真を撮っていました、その中で、若干一名、何を考えているのでしょうか、お爺さんが像にふれていました。それも堂々と・・・・(笑い)

周囲は皆ひいてしまったみたいでした。日本国の恥ですから後日銃殺刑でしょう・・・(笑い)

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ジュリエッタの家からわずかのところにエルベ広場があります。一世紀ごろからあるといわれている広場。

三方に中世に建てられた立派な建物が立ち並び思わずその時代にタイムスリップ。

この広場の中央にヴェローナのマドンナの像。下は泉になっていました。

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正面の館の前に円柱があって、てっぺんにいる双翼のライオンが広場をにらんでいました。

このライオン、ヴェネツィアの守護像。ということはヴェローナは、ヴェネチアの支配下に置かれたのです。

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広場には、テントが並び市場があって果物や野菜など売っていました。見て歩くのも楽しかったです。

この飲み物、フルーツの上にココナッツが乗っていました。

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エルベ広場とともに知られているシニョーリ広場。建物を挟んで反対側にありますが私達はいきませんでした。

エルベ広場からシニョーリ広場にあるランベルティの搭が見えましたのでパチリ!この搭は、昇ることができ市内が一望できるそうです。

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広場で少し休憩して、次に向かったのがブラ広場。ヴェローナ一の銀座通りマッツィーニ通りを通っていきます。広場には1世紀に建設のアレーナ。ローマより完全な形でした。

凄いですね。現在ここで夏開かれるオペラ祭は、イタリア一とか…ちなみに収容人員18000人だそうです。

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この建物市役所。広場の先にありました。

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市街地風景です。

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ヴェローナで昼食をいただいたあと、最後の地ミラノに向かいました。

バスの中で、ぐうたら亭主、ヴェローナのよかったこと、帰ったらシャヴェローナっていいますから、どうぞっていいました。

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

ヴェネツ ィア アドリア海の真珠

2014年8月24日(日)曇りcloud

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私達の旅行、実質四日目となりました。

イタリア半島の南から北に向かっての旅。この日は、アドリア海に浮かぶヴェネツ ィア  。

ナポリ⇔ローマ間は、約220km、ローマ⇔フィレンツェ間約300km、フィレンツェ⇔ヴェネツ ィア間200kmヴェネツ ィア⇔ミラノ間約300kmと中世独立国家のイタリア5大都市間の距離は、程よい間隔です。

これくらいの距離がありますとバスの中でちょっとした休息ができます。sleepy

ヴェネツ ィアは、アドリア海の真珠といわれその美しい佇まいは世界遺産。

私は、英語のヴェニスという地名で尋常小学校のころ社会科で習ったような・・・・記憶がありません。(笑い)そうですね。習ったのは戦後の新制小学校。

近くで寺小屋しょう~・・・なんて声が。ムッ!

ベニスといえば、シェークスピアの「ヴェニスの商人」って反射的に浮かびます。高校生のころシェークスピアは読みましたので「借金の担保に自分の肉」・・・・こんなとこだけは覚えています。あと、運河とゴンドラ、カンツォーネ。

ヴェネツ ィアは118の島からなって、運河の数150とか、そして橋の数400。

驚いてしまいますね。

こちらに来るバスの中で、窓外に見える内地の広大な土地を眺め、何故、沈みそうな島が良いのかしらって疑問に感じました。

でも、歴史的な理由はあるにせよ、中世海運国では、物資は船で輸送しますから、島の方が便利ですね。

中世には鉄道も車もありませんから頼りは船。運河が作られた理由も分かりました。

ま、そんなことで陸路ヴェネツ ィア本島の入り口まで長いクベルタ橋を渡ってバスで乗り入れました。

橋を渡り終えますとそこから先は、徒歩か船で移動します。ヴェネツ ィアは、運河が網の目のように張り巡らされていますから車の乗り入れは禁止。

ところで、下のへたな図が大まかなヴェネツ ィアですが、ヴェネツ ィア本島の面積は、5㎢と大変狭いですね。このような島が集まって国家を形成し中世偉大な発展をしました。

その遺産が人類の宝になったこと、信じられませんが人の力の奥深さを改めて知らされることとなりました。昔のヴェネツ ィアの人頑張ったのね。

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゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。・

それでは、お時間拝借しまして本島の名所へ・・・・・・・・。

バス降りて少し歩きますと、駅があり名前見ましたらサンタ・ルチア駅。どこかで聞いた名前。

サンタ~ルチア・・・・♪イタリア民謡にありましたが・・・・でもこの歌はナポリの港のサンタル・ルチアのこと。・・・・・聖ルチア・・・。この駅も同名聖ルチア。

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ホテルは駅から歩いて5分という繁華街の中。まずはホテルに荷物を置いていざ!出発。

行く先はサンタ・ルチア駅から大運河カナル・グランデの終点にあるヴェネツ ィアを代表する場所、サン・マルコ広場へ・・・・・船は、駅前から乗れます。

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運河を船で気持ちよく進んでいったのですが、途中にある見所、見とれてはいたのですが識別がつかず行も帰りも何となく見過ごしてしまいました。ま、反省ですね。

運河の終点サン・マルコにつきました。

サン・マルコ広場は、ヴェネツ ィアの一番の見どころです。私たちのこの日の予定はサン・マルコ広場中心の見学と、ゴンドラに乗ることでした。まずは、サン・マルコ広場へ。

船着き場の正面に見える建物、バラッツオ・ドウカレ宮殿(統領宮)

この建物、9世紀初頭から統領宮でその後改築など手を加えられ15世紀に現在の建物になったそうで、この建物はゴシック様式によるヨーロッパの一大傑作だそうです。

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この絵は、プチントーロの帰還  カナレット1729年 この絵にある建物ドウカレ宮殿現在と同じ姿ですね。あとから出てきますが2本の円柱も見えますね。

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ドウカレ宮殿の横に運河があり、その運河に架かる橋、名は溜息橋。左側の建物が宮殿で右側が牢獄。裁判で有罪になると橋を渡って牢獄へ・・・地下の牢獄は満潮時水位が上がると水浸しになってここに入ると二度と戻れないということで橋を渡る際溜息が。

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ドウカレ宮殿の左側、図書館との間に小広場がありますがここから、サン・マルコ寺院に向かいます。小広場の入り口に12世紀に建てられた2本の円柱が立っています。円柱の上には、有翼の獅子像(ヴェネツ ィア守り神・共和国の紋章)と聖テオドール。ここを守ろうと海の方を見ています。

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小広場、上から見ますとこんな感じです。左の建物が宮殿。右が図書館。入口に上で書いた2本の円柱が見えます。

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小広場を奥に進みますと、サン・マルコ寺院。上の方で工事していて上部が隠れています。残念でした。


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寺院の正面はこちらです。重厚感溢れる建物です。

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この絵は、聖マルコの奇跡を祝う行列 ジェンティーレ・ベリーニ 1496年 サンマルコ広場と聖マルコ寺院が描かれていますがほぼ現在と同じ姿ですね。

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中は、こんな感じで、5つのドーム屋根があり黄金のモザイクで装飾されるなど豪華。

聖・マルコの遺骸を二人のヴェネツ ィア商人がエジプトから運び、安置するために寺院が建てられたということです。

時代は西暦828年のこと。その後増築され11世紀に現在のようになったということでした。

ところで、聖マルコという人どんな人?

阿刀田 高著「新約聖書を知ってますか」によれば、「イエス・キリストがなくなってその後20年ほどたってパウロの手紙が次々に書かれ、60年代にマルコの福音書が書かれ、80年代にマタイによる福音書、ルカによる福音書が書かれている。・・・・・・・新約聖書27巻が聖典として正式に認められたのは西暦397年のカルタゴの宗教会議においてだった。」

何となくわかった感じですが・・・最初にキリストの言行録(福音書)を書いた人。名に「聖」がついてますから聖人。・・・・偉い人ということで。

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サン・マルコ広場・・・・ナポレオンが世界で最も美しい広場といったそうです。

正面が寺院。右のとがった建物が鐘楼。左の建物が旧の行政館政庁で右が新の行政館。

広場は大理石ですからナポレオンでなくても美しいっていいますね。左右の新旧行政館の一階には、ショップがあってここ覗いたのも楽しかったです。

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左の写真、旧行政館側。正面の建物は、時計塔。時計塔は、15世紀に建てられたもので今でも時を刻んでいますから驚きですね。右の写真は、広場のカフェ・・・お洒落ですね。

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寺院の見学を終え、ヴェネツ ィアンガラス工房見学。添乗員さんに案内され、と、ある建物の2階へ。

凄いでしょうね。そんな期待を込めてまいりました。部屋には説明者とおじさんが一人いて、おじさん見事な小鳥を作りました。その間3分ぐらいでした。

そして別の部屋に全員が集められ品物の説明。値段がうん万円!

それが終わると大勢の店員さんが出てこられて、お客一人に店員一人。

完全に逮捕されて(笑い)逃げるの大変だわ。マンツーマンですから。(笑い) 

保釈金お変わりに、私は、トンボ玉一個2500円を5個買いました。これだって12500円ですから。保釈されやれやれでした。(笑い)

ベネチアングラスは、叔母からもらったものが一式あったので、もういいわって感じでした。これ、驚いたことに、7~8万円してました。

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工房見学と称したイベントが終わって自由行動。みなさんお好きに…ということでしたが、今回の旅行で、この約2時間の自由行動が良かったですね。

私はヴェネツ ィアを上から眺めたくて早速、鐘楼に上がりました。鐘楼の高さは、96,8m。

9世紀のものが1902年に倒壊し再建されたそうで、今ではエレベーターで上に上れます。有料になっていまして、暫く並び最上階につきますとまさに360度の視界でした。この島が真珠の意味ようく分かりました。

サン・マルコ広場が眼下に・・・広がっていました。

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サン・マルコから運河を隔て、サン・ジョルジョ・マジョーレ島を望みました。サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂は、16世紀の起工でティントレットの最後の晩餐があるそうです。が、ティントレットを知りません。トホホ・・・

聖堂の姿美しいですね。まるで絵のようです。

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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネチアにおけるバロック様式の代表的な建物。運河挟んでたつ姿美しい。1631年竣工、完成まで半世紀以上かかったそうです。

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ここどこの島?わかりません。

ヴェネツ ィア映画祭は、本島から少し離れた島のうちリド島で開かれているそうです。どれがリド島かわからずでした。

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これは、前に出ましたドウカレ宮殿。西側から見ています。手前は小広場。

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ドウカレ宮殿の後ろにサン・マルコ寺院の屋根。

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鐘楼から眺めた景色に大満足しここを後にして、広場に出ました。

カフェでは演奏が・・ここのカフェ、名前カフェ・フローりアン、ワーグナーらが通ったという伝説の店で、雑誌で紹介されています。お店の前でパチリ、中には入りませんでした。

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行政館の下のお店には、ヴェネツ ィアの仮面などが並んでいて面白かったですね。

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この後、広場の突き当りが博物館になっていまして覗きたいと思いましたが時間の関係で博物館の下を通り抜けて広場から離れました。

広場の外には、シャネルなどブランドショップが並んでいまして、お目当てのルイヴィトンへ。そこで、リンゴのためにお財布を一つ買いました。リンゴには志望大学受かったときのお祝いということで。まだ先のことですが、馬の鼻先に人参・・・・効き目はあるかしら・・・

ルイヴィトンが終わって、今度は広場に戻り、反対側、サン・マルコ寺院の裏の方に適当にいってみました。こういう冒険的なことはワクワクしますね。運河や橋にぶつかりながら迷路のような路。

もう少し先、もう少し先と歩きましたら、レース屋さんを発見。ヴェネツ ィアでは、ブラーノ島のレースが有名。16世紀と古くからある伝統的なものですからエイ!とお店に入りました。

やはりよいものがたくさんありました。欲しいものがあったのですが値段が・・・それで一枚ばかりget・・・・でも楽しかった。

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ヴェネツ ィアの裏どおりは、迷路のようですからついに誰もいないところに出て、見ましたらお隣の国の人でしょうか。結婚式の写真を撮っていました。専門のカメラマンをどうこうしているような感じでした。感激縫って、写真撮って良いか断ってパチリ!ロマンチックですね。

こんなことして気がつけば、時間がないわ。どう帰ればよいか私にはわかりません。ぐうたら亭主犬見たいですから絶対間違えません。無事集合場所にぴったりの時間についてめでたしめでたしでした。


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このあと、ゴンドラに・・・・何台かに分かれて約20分くらいでしょうか。ゆったりと水上都市の景観を楽しみました。驚きましたが、舟のこぎ方日本の伝馬船に似てましたね。



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ゴンドラが終わって、船を乗り換え大運河をホテルのあるサンタ・ルチアに戻りました。時刻は7時半を回っていました。今日の夕食は各自で・・・・・。

私は、こちらに来てスパーにいっていませんから亭主に行きたいって頼みました。

ホテルの方に伺って・・・・街をぶらぶら行きますと・・・・・コープをみつけました。

牛乳、サラダ、生ハム(パックにいっぱいで500円)、あと、ホテル近くにあったお店でベーコンと野菜の入ったサンドイッチをgetしてホテルで慎ましい夕食。

ホテルの周りは、こんなぐわいでした。マカロンのお店、7時半には閉めてました。

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夕食のサンドイッチと生ハムとミルクとあと何か?生ハムは私の大好物。亭主は食べませんから私だけで食べて、お腹いっぱい。亭主はミルクのみ亭主ですから、ミルクさえあれば満足。、イタリアにきて一番おいしい夕食でした。(笑い)これ、ほんとの話。

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参考 この日のレストランでの昼食、イカ墨のスパゲティなどでした。

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bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

イタリア フッフィッツィ美術館

2014年8月18日(月)晴れsun.

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フッフィッツィ美術館の位置は、フィレンツェ歴史地区の中央あたり。

ベェッキオ宮殿と道を隔てて建っています。1560年メディチ家のオフィス(行政局)として着工その後竣工したものだそうです。

「フッフィッツィ」は、「オフィス」が訛ったもの。いや、すみません。訛ったのではなくイタリア語だそうです。(笑い)

そういえば、どことなく発音が似ていますね。イタリア語カタカナにしても読めません。(笑い)

家のぐうたら亭主、最近齢のせいでしょうか。オをウと発音したりしますのでオフィスをウフィス・・・・。私のこと、お母さんをう母さん。

「う母さんは、う仕事をおれしそうにしています。」これ、なおしますと「お母さんは、お仕事を嬉しそうにしています。」になります。なに。これ・・・私全然嬉しくはないわ。(怒)

くだらない亭主の話はやめまして・・・

お話元に戻し、1765年にメディチ家は収集した作品を正式にウフィスに展示、美術館として1765年に一般公開したそうです。

この時代にミュージアムを開設するって驚きですね。

現在、作品は、ルネッサンス前からルネッサンス後までの価値ある作品群を常時2500点展示されているそうで、その迫力は圧巻です。とても短時間では見切れません。

現地の日本人ガイドさんが、そこは予定の時間に合わせ、上手に日本人好みの作品を説明する仕組みになっています。

観覧は約1時間くらいだったでしょうか。

もったいないと思ってもやむを得ないですね。

展示されてる絵を数枚、日本の美術館に借りてきて展示すれば、十万・二十万人もの人を集めるようなそんな作品ばかりですが、ここではさりげなく展示されていて、「えっ?この絵が」・・・・この美術館はやはり凄い。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

さ~展示場の中へ、et's Go!

写真 この通路を行けば入口がありそこから入場しました。

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美術館は、コの字型になっていまして、校舎のようでした。

絵画は3階に集められていて、3階の展示場は、年代別、作者別に45の部屋に整理され系統的に見ることができます。

展示室へは、コの字の通路から入りました。

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回廊の天井には絵が描かれていました。が、絵の内容はよくわかりませんでした。


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それでは、ガイドさんのあとについて・・・・・・。

第2室(1200年代絵画)からの見学でした。(トスカーナ絵画の起源となる絵画群)

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・マエスタ(オンニサンティの聖母)(1306-1310)

この絵は、板にテンペラで描かれています。

ジョットといえば、前回のブログで取り上げましたように花の聖母大聖堂の鐘楼の設計を任された画家。

この時代の大家、ヒーローだったのですね。この絵は、写実的でしかも三次元的な空間の中に、聖母子が配置され従来の絵にない革新的な絵だそうです。よくわかりませんがルネッサンスの予兆?

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第8室 リッピ親子ほかの1400年代の絵画の部屋。

フィリッポ・リッピ(1406ー1469)

・聖母子と二人の天使(1465年)

この絵はこの部屋では最上位ランクの絵で、巨匠ポッティチェッリに影響を与え、背景の描き方は、ダビンチにも・・・・だそうです。なによりもマリア様の優しさが画面から伝わってきました。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-1492)

 ・ウルビーノ公爵夫妻の肖像(1472-1474)

フランドル絵画の特徴がみられる秀作だそうです。フランドルは現在のベルギー・オランダあたりでしょうか。フランドル絵画といえば、ボスやフリューゲルなど好きですね。

この肖像画、名画だそうで、肖像画にしてはわけありで横顔。

人物だけではなく後方の景色の描写も素晴らしいそうです。

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第10-14室 ポッティチェッリ

部屋の様子はこんなでしたね。

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サンドロ・ポッティチェッリ(1445-1510)

 ・マニフィカトの聖母(1481-1485)

有名な絵。いずれにしてもポッティチェッリの描いた聖母ですから。

板に描かれているそうですが、何百年たっても板が変形しないのは、職人の木工技術が優れていたからだそうです。ビバ!フィレンツェ!

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ポッティチェッリ 

 ・ヴィーナスの誕生(1484年) リンネル布にテンペラ

あまりにも有名な絵ですね。この美術館の目玉。上の絵は板に描かれていますがこの絵は布に。ようやく布に描かれるようになったのですね。

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下の写真は、ベルリン国立美術館展が西洋美術館で開催されたときのポッティチェッリの「ヴィーナス」。1485年の作品ですが上のヴィーナス姿が酷似しています。こちらの方が1年あとの作品ですからヴィーナスの部分だけを切り取ったみたいですね。

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ポッティチェッリ 

 ・春の寓意(1482年) 板に油性テンペラ

上の絵とともにポッティチェッリの代表作、そしてルネッサンスを代表する絵画。こちらも中央に立つのはヴィーナス。左で踊るのは三美神。それにしてもカメラが悪いのか腕が悪いのか下手ですね。もったいないです。私が気になったのはヴィーナスのお腹・・・大きい?

昔の西洋の美人の要件、お腹が大きいことって本で読んだ記憶があります。
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三巨匠の絵

第15室 レオナルド

レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519年)の作品は絶対数が少ないので、この美術館でさえもわずかしかありません。

 ・受胎告知(1475-1480年) 板にテンペラ

この絵日本へ来ましたね。見に行きましたよ。人が凄かったのを覚えています。それだけレオナルドの絵には、人々が引き付けられてしまうのですね。

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日本に来たときのポストカードをスキャンしました。

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ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ビンチ   

 ・キリスト洗礼(1473-1478年)板にテンペラ

この絵は、合作。左に二人の天使がいますが左側の天使とバックをレオナルドが描いたそうです。当時ヴェロッキオはレオナルドの師匠でしたが、レオナルドの技量の高さにこの後絵を描かなくなったそうです。私には、二人の天使の違いが分かりませんが明らかに違うそうです。天才レオナルド!

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第35室ミケランジェロ

ミケランジェロ・ブイナローティー(1475-1564)

 ・トンド・ドーニ(聖家族と幼い洗礼者ヨハネ)(1506-1508年)板に油性テンペラ

フィレンツェに現存する唯一のミケランジェロの絵画だそうです。1500年代においても最も重要な絵だそうですが、何故かは私ごときにはわかりません。ミケランジェロの絵だから・・・そんな単純な理由ではないですね。右横に半身で十字架を左手に持つ幼子がヨハネ。中央は聖ヨゼフ、イエス、マリア様。後方の裸の若者の描き方が古代彫刻から影響を受けたとのことでした。ウ~ム・・・

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第66室(2階)  ラッファエロ

ラッファエロ・サンツィオ(1483-1520)

 ・ヒワ鳥の聖母(1505-1506年)板にテンペラ

この部屋には、他に7枚の彼の作品がありました。イエスとヨハネ。それにマリア様。ラッフアエロの絵にはよくありますね。この絵の背景は、風景が細かく描かれています。

昨年3月に国立西洋美術館でラッファエロ展がありました。その時の目玉で大公の聖母(フィレンツェ・パラティーナ美術館)がまいりました。優しいまなざしは同じですね。

ちなみに、ラッフアエロの聖母子像は40ほどあるのだそうです。

そうそう、この時ラッフアエロの自画像も来ていて、その絵がこの部屋にありました。私にとっては再会になりました。

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途中の窓から外を見ましたらヴェッキオ橋がみえました。すぐ近くでした。

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第28室 ティツィアーノ

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576)

 ・ウルビーノのヴィーナス(1538年)キャンバスに油彩

ティツィアーノは、フィレンツェというよりお隣のベェネツィ派の画家。

この絵は、ティツィアーノの名作。人物がじっとこちらを見つめている姿は官能的だそうです。

プラド美術館にあるティツィアーノの「ヴィーナスとオルガン奏者とキューピット」日本にきましたが横たわるヴィーナスの向きは違いますが同様官能的でした。この絵は、後世の巨匠マネのオランピアや、ゴヤの裸のマハにつながっていったのではないかと思いました。

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ティツィアーノの部屋を出るときふと見ましたら、日本で見た(イタリア・ルネサンス・宮廷と都市展 2001年・西洋美術館)「フローラ」(花の女神).にもあいました。

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第64-65室

アニョロ・ブロンズィーノ              

ルクレツィア・パンチャティキの肖像       エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョバンニの肖像(メディチ家コジモ一世の妻)

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カラヴァッジョ   イサクの犠牲  

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追記

最近知ったのですが、今年の10月から東京都美術館でフッフィッツィ美術館展があるそうです。その目玉は、ポッティチェリの「バラスとケンタウロス」

この絵、ポッティチェリの部屋にあったのですが、見過ごしました。

大変残念です。「ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで」・・・・さて見に行こうか行くまいか・・・・・。心が揺れます。

展覧会の詳細です、→http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_uffizi.html

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マジョリン通信

撫子さんへ

こんばんは~

ご無沙汰しています。お元気のご様子何よりです。土曜日の日、今、清水で行われています全国少年少女草サッカー大会に孫の富士太郎が参加していますので応援に行ってきました。改めて清水のこと書こうと思っています。

ところで、桃のこと・・・綺麗にカットされてよかったですね。私も、あれから桃をと思っていましたが掲載するときが桃の在庫の終わりで、それ以来、桃なし暮らしです。

いずれにしても撫子さん、取り上げていただいてありがとうございました。バラさんもトライしてくださいました。ありがたいことです。loveletter

bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン

花の都フイレンツェ

2014年8月13日(水)晴れsun



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この日、ピサの斜塔をバスで出発したのは午前11時過ぎ。i同じトスカーナ州にあるルネッサンス発祥の地フィレンツェへ。

フイレンツェ・・・来れてよかった。

ミケランジェロ、ラッファエロそしてダヴィンチと数多くの芸術家を育んだ地。

ルネサンスの意味は、私の中ではあいまいですから適当に、精神文化などの新しい波、必然的に芸術にも・・・・それによって最高の芸術が次から次へと生み出された時代・・・・・そう理解しています。

ピサから1時間でフイレンツェに着きました。バスはまちの北側からはいりました。

ここがそうなんだ。

どの建物もセピア色していました。

まちの中を南に進むと東西に流れるアルノ川に突き当たります。

アルノ川、流れがありません。

川向こうの街並みと一体感を出すため、流れを抑えているそうです。昔にこのような知恵と技術があったのですから人間って凄いですね。確かに、まちが一体化して見えました?

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橋を渡って小高い丘にバスは上り有名なフイレンツェ市内を一望できるミケランジェロ広場へ。

中央にミケランジェロ作ダビデ像・・・・ただしレプリカでしたが立っていました。

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ここからだわ。私がどうしても見たかった景色。わ~・・セピア色の家並が続き絵のよう・・・このまち誰がどうやって?

フイレンツェの人たちの美意識の高さに脱帽ですね。フイレンツェは、人類にかけがえのない遺産を残しました。

1982年世界遺産登録。

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真中の大きな丸屋根は観光の目玉、花の聖母教会のドゥオーモ(大聖堂)正式名サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会、長くて覚えられません。

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こちらの高い塔はヴェッキオ宮殿。その手前にウッフィッツィ美術館。見えませんが搭の下にフイレンツェの歴史の中心シニョリーア広場があります。この写真は、上の聖母教会の左側地域にあたる写真です。

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この写真、アルノ川にかかるフイレンツェ最古の橋、ヴェッキオ橋。

橋の上には金細工店が連なっていて名所。観光予定に入っていましたが、理由の説明もなくスルー。プンプン!コトブキ色した小判買いたかったのに・・・・(笑い)

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さて、バスから降り歴史地区を歩きました。

重厚な石造りの建物が連なって、中世にタイムスリップです。

フイレンツェは、職人の街。

中世、フイレンツェの繁栄は、織物や家具製造、革製品製造など盛んで職人の力によるのだそうです。それと、薬屋から後に金融業で巨万の富を築いたメディチ家。メディチ家の存在が職人技と合わせてルネッサンスの花を大きく開かせた・・・・・ということでしたね。

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あ、そうそう歩き始めてすぐにレストランで昼食でした。左の写真、通りから入ったレストラン。右側の写真は、私達ツアーの仲間。

お仲間のこと。素晴らしい人たちばかりでした。

毎回、食事の際は相手を選ばず座りますのでその都度違う人。相手がどなたであっても皆さん変わらずフレンドリーでした。

これってすごいと思いました。

次第に分かってきたのですが、皆さん旅のベテランぞろいでした。

年4回もという方も。うち以外は、語学が堪能なのには驚きました。様々なこと添乗員さんの手をわずらわせずご自分で処理なさっていました。

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食事がすんで、まず、シニョリーア広場へ。この広場、歴史ある建物に囲まれていて広さはサッカーグラウンドくらい?

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広場北側にはヴェッキオ宮殿。かっての政庁で今は市庁舎。

この建物の前にダビデ像のレプリカが。ダビデ王は、マリア様のご先祖ということはイエスキリストのご先祖ってことで。

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また、ネプチューンの噴水も。東側のバルコニーにはメドゥーサの首を持つベルセウスの像。

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メドゥーサ・・ギリシャ神話に出てくるのですが頭の毛が蛇、歯がイノシシの妖怪。ベルセウス(ゼウスの子)に首をはねられます。

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この広場を見学して、隣にあるウッフィッツィ美術館へ・・・・

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美術館は、見学のハイライト。ここのことは次回に整理したいと思います。

美術館見学のあと少し離れたところにある、花の聖母教会、ドゥオーモ(聖堂)へ歩を進めました。

13~15世紀にかけて建設されたフイレンツェの象徴

このドゥオーモの施設でジョットの設計した鐘楼(高さ85m)がありました。聖堂ともども芸術性高い建築物だそうです。

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威風堂々としたドゥオーモ。大理石が美しくまぶしい。

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ドゥオーモへの正面入口。右の写真は、ジョット作の鐘楼・・突然、ぐうたら亭主、「ジョットどいてください。ドゥオーモすみません。」っていってました。レベルの低いこと相変わらずです。(笑い)

ところで、ジョットの鐘楼は、コースにはないオルサンミケーレ聖堂とともにフイレンツェの象徴的な建物で、ルネッサンス芸術につながる深い意義があり必見だそうです。このことは、2004年10月~12月東京都美術館で開催された「フィレンツェー芸術の都展」で知ったのですが、じっくり見ることはできず残念でした。

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「フィレンツェー芸術の都展」の本、277ページもある分厚い本で行く前にとても読み切れず、見切り発車でしたので、真面目に読んでいけばもっと楽しく見られましたね。でもやっぱり無理です。

しかし、こういう企画を開催できる日本の国ってすごいですね。

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フィレンツェの鳥瞰図               鐘楼のこと

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ドームの中、天井には、フレスコ画、最後の審判が描かれていました。力作ですね。

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大聖堂を観光して、フイレンツェを後にしました。この日の宿泊は、前日と同じホテルでした。

次はヴェネツィア・・・・・です。

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感想 フイレンツェを見学してじわじわとイタリアの素晴らしさが・・・・

フイレンツェは、見所がまとまっていました。徒歩で結構歩くことになりますが飽きることはありません。ウッフィッツィ美術館は名画で溢れ観光の中心。多くをみたければ時間がかかりますので、個人旅行で納得いくまでが良いような気がしました。特に若い人たちには・・・・・


話は変わりますが、私が、よくいきます箱根の成川美術館。ここで何回か個展を開かれた柳沢正人さんは、実力派の日本画家です。

作品の中には、イタリアを描いた作品がたくさんあります。下の写真、成川美術館にあるミケランジェロ広場からフイレンツェを描いた作品ですが素晴らしい絵です。

また、私の寝室には、同じ場所からヴェッキオ宮殿を描いたリトグラフが掛けてあり、毎日目にとまります。

この日は、絵と同じ景色を見ることができてよい思い出になりました。

写真

以前本屋さんで買った日本画実力派の柳沢正人さんの画集・・・

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この本の中に収められているフイレンツェの風景素敵でした。…(この絵は成川美術館にあります。)

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bell bell・・東北の復興・・・・・どうなっているのでしょうか。記憶から遠ざかっていくことが心配です。マジョリン











ちょっと一休み

2014年8月10日(日)曇りcloud

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イタリア旅行のこと、ちょっと一休み。

今日は、まずは、台風11号のことです。

この台風、勢力を保ったまま四国に上陸。全国に被害をもたらしました。

昨今の台風の威力、スケールアップして被害も甚大になりました。

狙われたらおしまい・・・・・そんな感じです。

上陸した徳島県の被害は大変だったようですね。心配です。

台風その後、近畿地方抜けて日本海へ出ましたが、通り道だったところに、ブログで親しくさせていただいているあざみさん,しょこらろーずさん、そしてバラさんのお住まいがあります。

みなさ~ん!大丈夫でしたか~・・・・・。心配しています。

私のところは、幸い外れまして風は強かったのですが雨も降らずにということで今回は助かりました。

8月に入って二つの台風が来ましたので、それに振り回されて気がつけば立秋も過ぎていました。

これからは、残暑との戦いになりますね。

今年の残暑厳しそう・・・・。

さて、先日娘のラズベリーから今が旬の桃の剥き方をこうしたらいいって電話がありました。

ご存じの方は、どうぞパスなさってください。

私、知らずにいたものですから実行してみてなかなか良い方法だったので記事にすることにしました。

桃・・・・・・・・私桃大好きです。先日、息子のポパイから甲州の桃が一ケース贈られてきました。

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ここのところ亭主と毎日、食後にデザートなんて言いながらいただいています。ウ~ン、甘くてジューシー・・・。

さすが、ポパイは私の育てた子!気が利くわね。亭主より立派よ、なんて喜んでいました。

そんな時、ポパイから電話があって「桃のお金払ってくれた?」「え?」「あなた贈ってくれたんじゃないの」「違う違う・・・振り込んでおいてね。」って電話切れちゃいました。

なによ、あの子。私の子じゃないわ。

さすがケチなところぐうたら亭主の子ね。許さないわ~・・・・。それとも今の振り込め詐欺?(笑い)

こんな時に、ラズベリーからの電話で桃の剥き方甲州いや講習。(笑い)

ラズベリー、桃の剥き方、アドカボいやアボカドの剥き方がヒントになって試してみたらうまくいったとのことでした。

その剥き方とは、以下の通りでした。

桃があります。

まず、桃の種の周りにぐるっと一周包丁を入れます。アボカドをカットする時の要領です。

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両手で桃を前後に回し半分に分けます。(ここもアボカドの要領です)

このように割れました。

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皮を向きます。熟れている桃なら手で剥けます。この時は簡単に、手で剥けました。

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種はスプーンでえぐるように取り出します。

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缶詰の白桃のようになります。

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桃を食べやすくカットします。リンゴのようにくし形にカットしました。

種の周りもあますところなく頂けます。

手もベタベタにならず手軽に桃とお付き合いできます。あ~美味しかったわ。これからはこの方法でいきたいと思っています。

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ピサの斜塔 奇跡の広場

2014年8月6日(水)晴れsun

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イタリア三日目、この日ホテルの出発時間は、8時30分。疲れがピークの時に遅い出発で助かりました。

ホテルからピサまでは、約90km、貸切バスで向かいました。

アウトバーンを飛ばして約1時間弱で到着。

ピサの斜塔へは、直接乗り入れできず、駐車場からシャトルバスに乗り換え走ること5分くらいだったしょうか。

観光スポットだけあって大勢の人。

ゲートをくぐりますと、広々とした青い芝生の中に白く輝く大理石の建物が目に入ってきました。

芝生の広場と建物群、「奇跡の広場」です。

なぜそう呼ばれているのか理由は分かりませんが斜塔が倒れないこと、11世紀から建設されたというのにこの広場・建物が、今なお美しいこと、これらを思い合わせますとまさに奇跡。

そう・・・私なりにそう解釈しました。

ここには、洗礼堂、大聖堂、ピサの斜塔(鐘楼)納骨堂そして美術館が一体になっています。

倒れそうで倒れない奇跡の搭…ピサの斜塔は、インパクトがあまりに強いので誰もがここのこと総称して「ピサの斜塔」と呼んじゃいますね。

軌跡の広場・・・・1987年世界遺産登録。

現地人のガイドさんが来て手短に説明、あとは約1時間自由見学でした。

斜塔の中に入るには、有料、中はガランドウですが屋上まで上れるそうです。

添乗員さんの話では、屋上まで上るのには 293段の螺旋階段を上り、階段は狭くすれ違いが大変。

階段が傾いているので気持ち悪くなるので止めた方が良いとのことでした。

私達、良い子たちばかりですから言われたとおり上る人はいませんでした。

私の事前調査では、最上階は、中世に栄えた美しいピサの街が360度の視界で眺められるということで未練はあったのですが・・・・私たち夫婦、上るには齢をとり過ぎてしまいました(笑い)

写真・・・・ピサの斜塔・・・・ピサはイタリア中部トスカーナ州のリグリア海に面し、中世前半に海洋都市国家として栄え、そのような国家が斜塔を1173年から約200年かけて完成したそうです。ま、繁栄の象徴でしょうか。

搭の高さは、55.22m

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中央に建つ大聖堂(ドゥオーモ)、この建物ロマネスク様式の最高傑作だそうです。1068年に建築をはじめて50年後に完成されたそうで、そういわれてみますと素晴らしい・・・・。(笑い)

現代なら建築賞総なめなんて感じですね。ロマネスク様式のあとにくる様式は、空高く突き上げるようなゴッシック様式。どちらがお好きですか?と聞かれれば…私、どちらも好きっ!て答えますね。

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ドゥオーモを反対側から見ますとこんな建物です。十字の形になっているのが分かりますね。

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こちらの写真は、正面です。4層の柱列が見所だそうで、他にドアに彫られた彫刻が傑作だそうです。確かに見事やワ~・・・。

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中に入っても素晴らしかったですね。最奥部にあるこちらは祭壇。

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祭壇の前にある、説教壇。ジョバァンニ・ピサーノ作の傑作だそうす。信仰・希望・慈愛を彫刻で表現しているそうです。もう一つの見どころ・・・・その横のブロンズのランプ。天井からつりさげられているのですが、ピサ大学にいたガリレオは、このランプの揺れから振り子の法則を考え付いたという伝説があるそうです。いずれにしても物語があるといことは楽しいですね。

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この写真、奇跡の広場の中の一番手前にある建物です。大理石の白、空の青、芝生の緑・・・・あ~奇跡の広場!入場券getして中に入らなければ~。

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中は、天井まで吹き抜け、2階部分に柱廊が巡っていて人が歩けます。正面が祭壇ですが、ここの見所の一つ、手前の洗礼盤。洗礼に使うのでしょうか。水に浸かったそうです。

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もう一つの見所のニコラ・ピナーノ作の説教壇。これも凄いものだそうです。

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最後になりましたが、上の建物の北側に、細長い建物があって、納骨堂です。ここには展示品やフレスコ画もあるそうですが見る時間がありませんでした。そのかわり、並行して建っていました有料トイレをお借りしました。トイレには、長い列・・・集合時間が近づいたのでやめちゃおうかと思ったのですがそこはずうずうしく振る舞い、5分ほど遅れてしまいました。

トイレは用心深く無理してでも済ましておいた方がよいですね。あとから体験することになったのですが次の目的地までの間トイレ休憩はありませんでしたので。

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(感想) 奇跡の広場・・・短時間でしたがとりあえず見ることができました。とても美しい広場でしたね。ピサの街どんな街なのか街も見たかったのですが、バスは街には入りませんでしたのでそのことは心残りでした。

この後バスは、ルネッサンス発祥の地「FIRENZE」へ向かいました・・・・・。


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ローマ 想像の翼

2014年8月3日(日)曇りcloud

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「永遠の都ローマ」こんな枕詞をいただいたローマは、世界の中で特別なんですね。

私がローマにあこがれたのは映画「ローマの休日」

あの映画、何回見たかしら・・・・

映画に出てくるシーンは頭にこびりついていて、ローマ全体のイメージにつながりました。

映画が、ローマの街に対する私の創造の翼を広げました。「想像の翼」…(クスクス)

この日、ヴァチカンをでて、添乗員さんに連れられて急ぎ足でお土産屋さんへ。お土産屋さんへ行くの、ちょっと早くないかしら?

それでも、今の私達囚われの身(笑い)添乗員さんのおっしゃる通りに行動します。

お店に約一時間いて、それからバスの待つバチカンの入り口付近まで戻りました。

ここからいよいよローマへ。ローマに入るには街を南北に流れるデヴェレ川を渡ります。

川を渡りますとすぐにローマ歴史地区。

それらしきものがバスの中から見えましたのでパチリ!何かしら?古代の遺跡ね・・・・

フォロ・ロマーノの一部?かしらと期待がむくむくと湧いてきました。

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そこからバスは進みまして、見えたのは写真などでよく見る建造物。

コロッセオだわ!バスの中から急いでパチリ!

大正時代、いや、すみません間違えました。どなたでもご存じの古代ローマ時代、最大級の建築物だそうで円形闘技場。5万人収容できたといいますから驚きです。

ここは、降りずにバスの中からの見学。あっという間でしたから写真撮るので精いっぱい

でした。

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コロッセオ通る時、隣の席で、亭主オレ、殺(コロ)っせ!オーなんて馬鹿なんこと言ってました。・・・ここにきてまでも亭主、バカですねぇ~。(笑い)

亭主のこと相手にせず、ウ~ムこれがそうなの・・・・・・。コロッセ(殺ッセ)オー

お土産やさんに寄らないでここ見たかったわ。思わず、愚痴が出てしまいました。

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コロッセオ過ぎますと、カンピドリオの丘。

ローマには7つの丘があるそうですがその中で一番高い丘だそうです。そこに建つのはローマの中心、市庁舎。

市庁舎にしたら小さい感じ・・・・。由緒ある建物なのでしょうね。説明きいていましたら、この建物は、中世に建てられたようですが、場所は、古代の古文書館のあったところとか。古代に古文書?わからなくなってきました。(笑い)

前に広がる小さな広場、この広場は、天才ミケランジェロの設計だそうです。それ伺って、ま~幾何学模様が素敵だわ。(笑い)

広場の両側には美術館と宮殿が立っていました。

広場の中心に立つ騎馬像は、マルクス・アウレリウス・アントニウス(第16代ローマ皇帝)

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私達の目的は、この庁舎の裏手です。観光客が一杯!

ここが、フォロ・ローマノ・・・・古代ローマの遺跡群を俯瞰してみるベストポジションといっておりました。

当時の政治経済の中心で、元老院、神殿跡などが残っているようですが、上から説明受けただけでは、よくわかりませんでした。凱旋門と神殿の柱は分かりましたがここも下に降りてゆっくり見なければ・・・・そんな感想もちました。

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ここで、写真撮って、再び市庁舎の前に出て少し歩きますと、白い堂々とした建物が見えました。

ベェネツイア広場に面したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂でした。

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この建物、1911年の完成と新しい。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、1850年代にイタリアが統一され、その建国の祖とされているそうで・・・・

イタリアという国の歴史は複雑で、歴代登場人物の名前がこれまた覚えられず、例えばアウレリウス・アントニウスのこと、思わず、アウトレット・アントニウスなんて書きそうになりました。(笑い)

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ここもほとんど、写真撮っただけで目的のトレビの泉へ歩を進めました。途中、パンテオンが近くでしたから見たかったのですが、予定に最初から入っていませんから仕方ないですね。

イタリアの気候は、この時期晴れた日は日本と同じとのこと。私達運が良いそうでやや気温は低めだったそうです。

歴史地区は、バスは入れず歩くのがルールで歩いたのですが暑さは影響しませんでした。各自、自分の足だけが頼りでガイドさんの持つ旗を見失わないように一所懸命。

ようやくトレビの泉に着きました。

トレビの泉・・・・・あら!工事用の鉄パイプに囲まれて、え?なんなんでしょう。

ガイドさん・・・残念ですがこのような状況ですからここに来たということで・・・ムニュムニュウムニュ・・・・。

私達グループは、一人を除いて紳士淑女ばかり。紳士のどなたかですが、こんな姿は今後、見られないからラッキーだと思いましょう・・・・・。う~んできてるわ。うちの亭主とは大違いね。

別の機会にお話ししますが、うちのグループ素晴らしい人たちばかりでした。

噴水がどうなっているのか、大理石の彫刻は?離れていて全くわかりませんでした。ま、工事現場見たみたいでしたね。これならパンテオンの方が・・・・。

ここにいること、約5分ぐらいだったでしょうか。先へ行くガイドさんについて歩きます。よく歩くわね。石畳の上をせっせせっせ・・・・・次の目的、スペイン広場の階段へ。

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オードーリーヘップバーンがアイスクリーム食べた階段…スペイン広場の階段です。

ヘップバーンがいない階段・・・観光客は多くいましたが、私には普通の階段にしか見えませんでした。

もう二度と出ないかもしれない稀代の妖精女優。彼女の放つオーラは周囲の景色まで特別のものにしちゃったのですね。

ところで、この階段でもバックのトリニタ・ディ・モンティ教会の搭が工事中でした。

私達のローマ巡りは工事現場視察?・・・・(笑い)

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ま、こんなわけで歴史地区を離れバスに乗りレストランへ。で遅い昼食をとりました。この日の昼食はピザで6種類から好みのものを選べる仕組みでした。いかがですか?美味しそうでしょう。

亭主がマルゲリータで、私がきのこピッザ。周りが焦げすぎでしかもしょっぱくて・・・コメントこれくらいにしておきます。(笑い)

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昼食後、バスに乗りローマを離れ北に向かって今夜の宿泊地カレンツワーへ・・・・・・。今日、ローマのこと書いていますが、私が訪れたことのあるパリ、ロンドン、NY、ワシントンと比較して永遠の都ローマが、最も印象が薄かったのはなぜだったのでしょうか。

あえて、印象に残っていることといえば、古いローマの石造りのビルに街路樹のキョウチクトウの花(白、赤、ピンク)がとても合っていたこと。あら、キョウチクトウ素敵だわってうちのそばで咲いている花を改めて見直しました。

ローマの街の一部をスナップしました。ゆっくり気ままに回ればローマが永遠の都だということはわかるかもしれませんね。あ、そうそう、帰りがけバスから真実の口のあるサンタ・マリア・コスメディン教会を見ることができました。

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下の写真は、この日のホテルの中と7時30分からの夕食。夕食は思い出さないのですが、写真が少ないのは撮り忘れでしょう。夕食の際、一番若い方から、今日はどれくらい歩いたと思いますかって聞かれてましたが、2万歩だそうです。この方の歩幅が70㎝としますとざっと14㎞ってところでしょうか。

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ミネステローネとアイスクリーム。パンが出て他にも出ましたが撮り忘れました。
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この日のお土産

義理の息子と息子にバンドを買いました。

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一口メモ

添乗員さんが案内する旅行期間中のお土産屋さんのことについて考えてみました。

今日の場合、肝心のバァチカンの見学は約く1時間で、お土産屋さんも約1時間。貴重な午前中をこの時間配分どう思われますか。

確かに、旅行の楽しみはお土産買うことも大きな要素です。

ここでいやなこと書きますが、旅行会社がお土産屋さんへツアー客を連れていく仕組みは、お客さんからの要望によるものが一番大きな要因だと思います。

ただ、それが度が過ぎてしまいますとおかしくなりますね。

旅行会社?、お土産屋さん、お店で働く日本人、お客さんの四者全員がハッピーになるということがこの仕組みの基本だと思います。

でも、今回のツアーは、お店いくのことが頻繁でしかも時間が長く、亭主など、私のお付き合いですから頭から湯気が出っぱなしでした。(笑い)

会社の意図もわからないわけではありませんので、そこはスマートにやっていただければよいと思いました。一口が長すぎましたね。すみませんでした。










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